底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

生き残る組織にするために必要な人間

人間が他の動物と違い、ここまで高度で複雑で難解な世界を作り上げたのには、妄想をする能力が備わっているからなんです。経験や知識からだけでなく「こうなりそう」とか「こうなるんじゃないか?」と言った将来を想像し、どうなれば幸せか、幸せになる自分を妄想し、その妄想を実現するために試行錯誤し、工夫を重ね、成長し、発展してきました。妄想するチカラがなければ、ここまで人類は発展してこなかったのです。そこには揺るぎない芯のようなものが必要で、それが価値観であり、信念であり、理想とする姿、目標や期待、希望、野望なのです。

脳科学的には

妄想とは明らかな反証があっても確信が保持される、誤った揺るぎない信念である。

世界の常識が正しいとは思わず、常に常識を疑い、各個人が常識、定理、法則に猜疑心を持ち、本来の意味を吟味し、自ら選択、改善していくことが人類の発展につながるのです。

人間には大きく2種類のタイプがいて、ひとつは「過去」の経験や知識に縋るタイプ。もうひとつのタイプは「未来」に向かって妄想を繰り返し突き進む攻撃的な人間です。もちろん、どちらも行き過ぎると困った話になってしまうのですが、未だかつてない稀有で、平和で安全な平事ではなく、緊急事態の時は後者の「未来」を妄想し、突き進む攻撃的なリーダーが求められるのです。

常時、平和で安心で牧歌的にのんびり生活が送れる訳はなく、不運は不意に襲ってきます。今回のコロナ禍でもそうですし、大雨や台風、地震などの自然災害、小さな所で言えば、理不尽でクソみたいな顧客からの被害、想像を絶するほど何もしていない同僚の尻拭いなど、想定外のことは日常茶飯事に起こります。そんな時に恥ずかし気もなく「想定外だった」とか「過去に経験のないことだから」と語り、自分は悪くない、悪いのは環境だとか責任転嫁をするリーダーにはついて行く気にはなりません。

現代に求められる人間は、みんなから煙たがられている「自分の信念を持ち、信念を曲げず、妄想を繰り返して突き進む人間」なのです。ただ、そんな人間は子供の時からアホな大人に迫害され、周りに合わせることを強要され、爪弾きに合い、叩かれ、変わり者、狂人と呼ばれ真っ当な道を歩いてはいません。平事では周りに合わせ文句も言わず、大人しく目立たない人間の方が良いのです。

徳川幕府が300年続いた理由も、徳川家によって平定された世の中で、妄想を繰り返し改革を進める鼻つまみ者を排他し、従順で大人しい過去の経験と知識で生きる人間を重宝した結果です。さらに日本の大企業の多くも同様に過去にすがる人間で形成されています。

そんな人間が重宝され、評価される組織では、クソみたいに現状維持にこだわり、リスクから逃げれば逃げるほど雪だるまのようにリスクが大きくなるのに気づかないのです。そして、そのリスクを気づく未来思考型の妄想野郎は煙たがられ、変人、狂人と爪弾きに合い、意見を聞いて貰えず、あきらめ、離れて行くのです。

平事に強い組織、社会が未来永劫続くというのは幻想で、実現不可能なのです。いくら強い組織にしても予想もしない不運は必ず襲って来ます。そんな有事に対応する人間を排他し、従順な人間で固めた組織はモロいのです。江戸幕府は黒船の来航と言う外的要因により脆くも崩れ落ちました。300年も続き、誰もが幕府が倒されるとは想像もしていなかったのに、呆気なく明治維新が成立したのです。

これからの平事になるまでには、ツラく長い道のりが続きます。今まで鼻つまみ者だと言われ、迫害されて来た妄想野郎が活躍する時代です。残念ながら、煙たがられる「自分の信念を持ち、信念を曲げず、妄想を繰り返して突き進む人間」が必要になるのです。そんな貴重な人間が近くにいたら、どんな手を使ってでも確保に走ってください。

hirame18.hatenadiary.jp

 

 

 

4度目・・・。もう緊急事態宣言なんてやめにしませんか?

4度目の緊急事態宣言が発出されるそうですね。なんて言っても、弊社は基本的には何も変わらず、営業は感染防止に気をつけ外回りを続けることになるそうです。

僕はシステム屋で外に出てウロウロすることはなく、事務所でひっそりと仕事をするのですが、おそらく在宅勤務はしないと思います。まあ、僕が決めて良いんだけどテレワークはしない。別に在宅勤務でも良いんだけど、在宅勤務をすると土日に遊びに行ってコロナを貰ってしまった時の言い訳がしにくいと言うか、変な気を使ってしまい、在宅勤務イコール土日も家で過ごさなければいけない雰囲気になってしまうのです。それが正しいのも分かっている。分かっているんだけど、もう無理だよ・・・。

どちらかと言うと家に籠るのが苦手で、一人でいるのが苦痛で、いつも誰かと一緒にいたいと思う人間は少なくないんです。極度の寂しがり屋で、他人と関わってないと不安で、誘われれば、ホイホイとついて行き、アホみたいに盛りあがることが好きな人間は結構いるのです。

そんな僕でも去年の緊急事態宣言が初出の時はお天道様を避けるように家に篭り、在宅勤務、土日はAmazonプライム三昧と必死に耐えていたのですが、今回は、流石にアホらしくて付き合う気にはなりません。そもそも、緊急事態宣言を解除した理由も分からないし、緊急事態宣言の再発出も納得いかない訳です。世知辛い世間で揉まれ、人生のスイもアマいも知ってしまった僕は、ただ言われたから家にいるなんて、純粋で世間知らずな人間ではないのです。見返りがなければ協力なんて出来ないのです。別に10万円が欲しいとか、布製のマスクが欲しいとか、そんなんじゃなくて、頑張って家に篭っていればコロナを撲滅でき、誰とでも何処にでも気軽に遊びに行ける日が来るだけで良いのです。

この度、不本意ながら国民の健康と安全を守るために泣く泣く発出することにしました。協力してください。なんて、ちゃんちゃら可笑しい。臍で茶を沸かすような話なんです。そんなバカバカしいことをさも当たり前のように話す日本のトップに幻滅してしまいます。ワクチン接種だって景気の良い話をしていたくせに、国民の30%しか接種が出来ていません。マジで友達だったらやべえ奴認定で絶交モノですよ。どの口がそんなことを言うのか親の顔が見て見たい。

令和の禁酒法で弱いものを虐めて、自分たちはのうのうと生活をして誰が納得して協力をするのでしょうか。僕の周りにもそんな人間が多からずいるのですが、そんな人間は自分で判断することがなく、責任逃れの言い訳ばかりをし、耳くそほどの努力もしないで運が悪かったとか、会社が悪いとか全てを他人のせいにするクソ野郎なのでございます。

もしかしたら、そんなクソ野郎が世間の主流で僕のように納得が出来ない人間はマイノリティなのかも知れませんが、僕は協力する気は皆無です。言葉遊びに付き合っいる暇はありません。

まん防、緊急事態宣言じゃ、もう無理なんだよ・・・。いい加減気づけよ・・・ - 底辺からの視線

驚愕!! 誰からも好かれようとする人間の末路

「誰からも嫌われないように生きなさい」

「誰とでも仲良く喧嘩なんてもっての外」

そんなことを純粋無垢な子供たちに教え、自ら周りに気を使い、自分の意見も持たず、ただただ嫌われたくないと権力者に歯向かうこともなく「良い人」を演じている人は居ても居なくても問題なくて、自分の立場を守るために意固地になり、結果、嫌われるのです。反対に「あいつはクソだ」とか「ろくでなし」なんて言われる自由気ままに好きなこと、やりたいことを続け、嫌われている人間の方が仲間に囲まれ幸せな人生を過ごせます。

特に多様性を認めるようになった現代では、全ての人から好かれるなんてことは不可能で、誰かに好かれれば誰かに嫌われるのが当たり前で、そんな不可能なことにチャレンジする八方美人は、勇敢で優秀で素晴らしいと思いますが、時代錯誤も甚だしいのです。はっきり言って誰にも嫌われないと言うことは、誰からも相手にされないと言うことで、敵もいなければ、味方もいない状態です。いっそのこと、スペシャルな仲間を作るためには、思いっきり嫌われ、一部の人に思いっきり好かれる人間の方が幸せなのです。

誰からも嫌われたくない男の末路

これは、僕に媚を売り、僕が嫌いで目も合わせないクソ野郎にも媚を売り、どちらにも良い顔をしていた宮川くんと言う人物の話ですが、偶然、僕とクソ野郎が和解をした時、宮川くんは立場がなくなり、僕たちの仲間からも、クソ野郎の仲間からも嫌われてしまいました。今ではどこで何をしているか誰も知らない可哀想な宮川くん。またどこかで誰にでも媚を売っているのかも知れませんが、濃ゆい仲間も出来ず、あちこちで良い顔をしていることでしょう。そんな腐った本性がバレずに生き延びて欲しいと願います。

この魑魅魍魎が蠢く、現代の社会の中で「良い人」とは、都合の良い人、使いやすい人であって、都合が悪くなれば必要とされない人間なのです。そして、嫌われる人と言うのは、その人の価値観があり、価値観、生き方、考え方の違いで衝突をすることもあるのです。価値観や考え方が違う人間とは衝突をするのが当たり前で、価値観が同じ人間は共感し、濃ゆい仲間になるのです。嫌われたくないからとあちこちで都合の良い男を演じていた宮川くんは、価値観もなく、あったとしても表に出すことがないので誰からも信用されなかったのです。

これは、宮川くんに限ったことではなくて、菅総理大臣を初め、日本人に多く存在します。良くも悪くも嫌われることを恐れずに自分の意見を言える人は、コアなファンを掴むことが可能になるのです。この世で一番幸せな生き方は自分のエゴを通して生きることなのですが、そのためには、仲間と価値観を共感し、お互いを認め合うことが必要です。「あいつなら、そう考えるわな。しゃーないな」なんて思われるのがベストなのです。

嫌われるても問題はない

好き勝手に生きていて、嫌われても全然問題はありません。問題ないと言うよりは嫌われることで、反対に濃ゆい仲間が集まってくるのです。例えば、僕の場合、誰にでも媚を売る人間は嫌いなので近寄ってきて欲しくはありません。そんな人間には嫌われても問題ありません。そして、僕は正しいと思っていることを同じように正しいと思ってくれる人だけが周りにいてくれれば問題ありません。例えば、クルマなんて必要ないなんて言っている人は近くにいてくれる必要はなくて「車は男のステータスだ」と考えている人間だけに囲まれているのが幸せなのです。

クルマなんて必要ないのにバカみたいに金をかけて、アホだなと考える人の気持ちも分かるし、むしろ経済的に考えれば理に適っているのですが、やっぱりカッコ良いクルマに乗ってブイブイ言わせたいという欲求を持っているわけで、クルマ不要論の人とは仲良くなれないわけです。ですが、世の中には良いクルマに乗りたいと考える人も多く、そんな価値観が同じ人間とツルんでいれば幸せなのです。むしろ、クルマ不要論の人間に嫌われないために「クルマなんて・・・」などと心にもないことを言ってしまうと、本当は仲良くしたいクルマ狂の人間からは嫌われてしまうのです。

これはクルマだけではなく、全ての価値観で同じ現象が起こります。それが個性だし、人間らしさなのです。つまり全ての人間に合わせることなんて不可能なのです。その不可能にチャレンジして失敗するリスクを考えたら、自分と価値観が違う人間に嫌われても、自分と価値観が近い人間に好かれる方が何十倍も良い人生が送れるのです。

人間は一人では生きていけない

人間は弱く脆い生き物なので、一人で生きてはいけません。だからこそ、損得を抜きにして、お互いに助け合える濃ゆい関係の仲間が必要なのです。そして、損得を抜きにして助け合える仲間というのは簡単には出来ません。衝突もするし、喧嘩もします。そして、お互いの本心、本音を晒し、否定し、認め合い濃ゆい関係が築けるのです。

嫌われたくないからと相手の意見に従順に従う人間は、信頼が得られず、濃ゆい関係にはなりません。いつまで経っても都合良く使われる人間なのです。そして、都合が悪くなれば、捨てられる運命にあるのです。誰からも嫌われず、好かれず、自分の好きなことも出来ず、クソみたいな人生を送ってしまうのです。残念ながら、宮川くんは誰に聞いても、どこで何をしているかはわかりません。つまり、誰からも相手にされなくなってしまったのです。

考え方の違いですが、一人では生きていけないから、誰からも嫌われたくないと考えるのは浅はかで、将来的には何も得がありません。誰からもリスペクトされず、誰からも相手にされず、使い捨てにされてしまうのです。そして、日本の教育はそんな使い捨ての人間を育てて、不幸な人間を作り、格差社会を形成したのです。人生を謳歌している、いわゆる成功者は自分の価値観を信じ、反対意見をねじ伏せ、我が道を進んだ人間なのです。その夢を実現するためには、信頼がおける濃ゆい仲間が必要で、その仲間は、成功者の強い信念に共感し、同じ道を進んでくれたのです。

特に多様性の現代は、万人に好かれる必要はなく、コアな仲間にだけ好かれれば、自らのエゴを通し、幸せな生活が得られるのです。

八方美人の宮川くんが、あのままで成功しているとは思えません。もしかしたら、大成功を納めて、僕たちのような底辺の人間とは距離をとっているのかも知れませんが、それでも良いと思います。僕は僕なりに楽しい人生を謳歌しているので・・・

効率よく仕事をしようと考えるのはプログラマーのエゴなのか?

効率よく仕事をしたい。余計なことはしたくないと考えるのはプログラマーのエゴなのでしょうか。というのも、どこの会社に行っても、本当に効率が悪い手順が当たり前のように行われていて誰も改善をしようとしないなんてことを最近よく見かけます。

僕が見かけたのは特別な会社だけでなく、どこの会社でも同じで効率を求めることはなく、ひたすら昭和時代から続けている非効率で生産性の低い手順を守り続けているのです。その会社の伝統で守らなければならないことであれば、生産性が低かろうが、非効率だろうが問題はないと思います。しかし、どう見ても生産性が低く、非効率な手順で、実際にその仕事をしている人たちは薄々気づいているのに、誰も変えようとはせず、時間とお金を無駄遣いしている作業が多いのが現実です。

例えば、エクセルなどのファイルを歴代管理しているような業務なんて、パソコンの記憶領域の無駄使いだし、管理をするのが煩雑になって結局、いつの時点のファイルが正解なのかが分からなくなっているなんてことがあったり、社内連絡をメールで全員に展開をし、あまりにもメールが多くなり、結局誰も読まないなんてことがあったりしています。

そもそも、会社組織で行われる作業には、目的があるわけですが何を目的にしているか、誰も理解をせず、とりあえず「言われた作業を淡々とこなすこと」が当たり前で、どうすれば短い時間、少ない労力で仕事ができるかを考えている人がいません。

仕事は効率化が大切

日本人の多くは、忙しいイコール稼げると勘違いをしています。同じ作業であれば、少ない時間、少ない人間で行った方が会社としての利益が大きくなります。結局、コストで一番高いのは人件費で、人件費を削るのが一番のコストカットになりまず。忙しく働いているのに、なかなか作業が進まないより、ラクして同じ作業を爆速で進めるのであれば、間違いなく後者の方が会社への貢献度も高くなります。さらにラクをして早く終わらせることが出来れば仕事が嫌いになる確率も低く、精神的にも余裕が生まれるはずです。

プログラマーはプログラミングスキルがあるだけでなく、ロジカルに効率化を考え行動する癖が身についてしまっています。同じ作業を繰り返したくないし、ムダな手順は省きたい。はっきり言ってサボりたい。そのサボりたいと言うのは仕事をしたくないと言う訳ではなく、出来るだけ少ない投資で最大限の利益を得たいと言うことであって、最小限の労力で言われたことを終わらせたいと考えているのです。最大限の効率化を求めるのです。

クソみたいな手順にウンザリする

そんなプログラマーの性なのか、クソみたいな非効率でムダ型多い手順にウンザリするのです。一回で済むことを何度も何度も繰り返し、やっと完遂する作業を平然とこなす人たちを尊敬すらしてしまいます。これは、どの会社にも起きていることで、上層部は現場の仕事を分からず、何でそんなことをしているのか理解をしていなくて、そしてそれが正解なのに、現場ではクソみたいな手順が正義になっていて時間も手間もかけてムダなことを繰り返しているのです。諸外国と比べて日本の生産性が低い原因は、そんなクソみたいな手順に対して、問題意識がない人が多いことです。

システム化の前にやることが多い

僕はシステム屋として色々な会社のシステム開発に関わっていますが、マジでクソみたいな手順が当たり前に行われていて「この手順は必要なのですか?」なんて質問をすると大抵の企業では「昔からやっているから」なんて理由もなく伝統的に続けている作業があり、必要なくね? なんて思う人は皆無です。これだけ効率化なんて騒がれているのに誰も非効率な手順を改善しようとはしていないのが現実です。

まあ、周りがやらないことをやれば、差別化ができ、僕のメリットになるので大きな声では言えませんが・・・

2021年7月4日、友人が亡くなった

昨日、仲間であり、親友であり、ライバルであり、憧れの存在である人が亡くなった。享年48歳。僕の二つ上の兄貴的な存在。まだまだ、これから一緒にバカやって、お互いの息子たちの成長を楽しみ、息子たちの成長をサカナに呑んで騒いで笑い合うのが普通で疑いもしなかった中、誰にも話さず、隠していた脳腫瘍が原因で帰らぬ人となってしまいました。

こんなブログに晒されているなんて思いも寄らないと思うし、晒されているのが分かったらマジギレされてボコボコにされると思いますが、この気持ちをぶち撒ける術もなく、ただただ一人で抱えられなくて、つらく重い気持ちになってしまい、塞ぎ込んでしまいそうなので、内緒で書き残しておきます。

うちの長男と故人の長男が同じ小学校で、同じサッカーチームで本当に偶然知り合って、キャラも違うし、見た目も違うし、仕事も違うし、普通に生活をしていたら知り合うこともなかったんだけど、一緒に酒を飲み、本音で話し、激突し、言い合いにもなったけど、全然違う価値観をすり合わせ、いつの間にか、息子の保護者という繋がりだけではなく、付き合える仲間になりました。なんて話をするのも照れるし、故人は怒るかも知れないけど、今日は良いよね。

強面で、他人を寄せつけないオーラを纏い、いつも気を張ってカッコ良い兄貴でした。会えば必ず絡んでくれるし、社会人に特有のウワベだけの建前じゃなく、本音で真剣に話をしてくれる仲間で、損得なんて関係なく、お互いに困ったことがあれば助け合う仲間。本当に熱い男でした。

僕と故人を含む3人で、いつも子供たちのサッカーチームのことについて考えていました。サッカーが上手くなるのはもちろん、子供たちは5年後、10年後、20年後もずっと未来永劫仲良しでいつまでも、つるんで欲しい。そのためには大人として、親父として、コーチとして出来ることは全力でやろうぜなんて話をし、気づけば10年近い付き合いを続けていました。

子供たちの将来のことを一緒に真剣に考え、息子たちがお酒が飲めるようになったら一緒に飲もうなんて約束をしたのに、それももう叶いません。

死因は、脳腫瘍だったそうです。カッコつけて、心配されたくないからとカミさんにしか話をしてなくて、忙しくて病院にも行かなくて、好きなお酒を前日まで飲んで、自分のことなのに、どこか他人事で、早く病院に行って処置をして貰えば良かったのに、知っていれば、キレられようが、怒られようが無理矢理でも、引っ張ってでも病院に連れて行ったのに・・・,

故人と最後の思い出は、亡くなる一週間前に故人の息子の足のサイズが親父に追いついたこと、うちの息子がやっとジュニアサイズではないスパイクを買ったなんてくだらない、本当にくだらない話、たわいもない話をしたことです。こんなことになるとは、全然思っていなくて別れ際に「近いうちに飲みに行きましょう」「コロナだから無理じゃね?」なんて普段と変わらない話をし「またね」なんて次があると疑いもしませんでした。

変わらないなんてことはなくて、変わるのが当たり前で、変わるから人生は楽しいと思っていたのに、急すぎてそれも想像もしない方向に変わってしまい、本当にどうやって気持ちの整理をすれば良いのか分からなくて本当に苦しい。

まだまだはえーよ。これからじゃん? 一緒に息子たちと飲みたかったじゃん。もっと話したかったよ。もっと飲みたかったよ。今までの恩をどうやって返せばいいんだよ? マジで。残された男3兄弟はどうすんだよ。

ロックに生きるにはツラいのは、全てが揃っている時代だからなんだ

昭和50年生まれの僕は、1990年代、バブルの残り香で、日本がまだまだ元気だったころ、多感な青春時代を過ごしました。昔は良かったなんて年寄りみたいなことは言うつもりはないんだけど、あの当時の日本人は狂っていて、ちょっと上の年代、憧れの先輩たちは自由のために好き勝手暴れ回り、人生を謳歌していて、今では考えられないくらいのパワーとパッションを持って生きていたような気がします。

学校では持て余すパワーとやり場のない怒り、悶々とした鬱憤を晴らすために喧嘩、エロそしてロック、単純でピュアな若者の気持ちを発散して周りの多くの人に迷惑をかけ、それも青春だと大人たちも寛容で本当に世の中全体が狂っていました。

そんな90年代に中学、高校、予備校を挟んで大学と楽しい青春時代を過ごしたのですが、当時を振り返ると手に入らないモノ、叶えられそうにもない夢みたいな大きな目標というか、生きる目的みたいな漠然としていたけど、そんなものがあって手に入れられない、叶えられないと知り、悶々とし、やり場のない怒りで、他人に噛み付き、衝突し、潰され、それでも強く生きなければと一生懸命に生きていたのです。

40歳を超え、もうすぐ50歳に手が届く親父だけど、まだまだ現役でバリバリカッコつけて生きたい訳で、息子たちのカッコいい父ちゃんでいたい訳で、女子にチヤホヤされたい訳なんです。そう、あの頃憧れたロック、僕の人生の指針であるロックに生きたい。

僕にとってロックはただの音楽ではなくて、憧れであり、人生の羅針盤、マニュアル、男としての生き様なんです。

ただ、令和の現代はロックに生きるには全てが揃い過ぎている。どうしても手に入れたいと思えるモノ、やりたいことがなくなってしまった。それは僕が歳を重ねたからではなくて、日本が裕福になり頑張る必要がなくなったんだと思う訳です。みんなにとって生きやすい、暮らしやすい世の中になると僕みたいな人間は生きる推進力を失い、過去にすがるように生きるしかなくなるのです。

欲しいけど手に入れられないモノ、やりたいけどやれないことが僕の生きるためのエネルギーであって、それが手に入れられない悶々とした思いを代弁してくれるのがロック。なのに全てが揃い過ぎていて、便利になり過ぎていて、必死に生きることが必要なくなって、どちらかと言うと必死に生きることがカッコ悪い世の中になってしまって、1990年代のように狂った時代に憧れていた人間からするとぬるま湯過ぎて人生に張り合いがないのです。

あの頃は、もっと良い暮らしがしたいとか、誰よりも稼いでやる、誰にも負けたくないと意地とメンツ、見栄で生きなければいけなかったのです。他人に自慢できる現実がなかったから、夢を語るしかなく、口に出した夢を実現するために必死に生きていた。そんな先輩たちに囲まれ、憧れ背中を追いかけていたのです。

現代は、贅沢をしなければ、生活に困らず生きれる世の中になり、欲望にまみれて生きているとバカだの、変わり者だの言われ、必死に頑張るのがカッコ悪いと思われている時代です。

そんな世の中でバカにされようとも、自分を曲げず、自分の信じたものを守り、誰にも媚を売らず、生きていきたい。

オリンピックに反対する人は非国民だと? 自分の意見が正しいと考えるクソみたいな権力者が生まれる理由

日本が元気で、まだまだ煌びやかで、イケイケドンドンだった昭和を引きずっているおじさんが多いのにはホトホト困ってしまいます。それも近くにいる近所のおじさん、会社のおじさんだけでなく、もしかしたら日本全体のおじさんは、口ではいいことを言っていますが本心、中身は昭和時代と何も変わらないのかもしれません。

安倍前首相「反日的な人が五輪開催に強く反対」 月刊誌の対談に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

安倍元総理のこんな発言になるのも、そんな安倍さんがそこそこ人気があるのも、根本的には昭和の考え方で、年功序列、支配されるのが好きなバカで情けない大人が多いからで、本人たちは気づいてないけど、本当に時代遅れで、ダサくて、迷惑な話。そんなおじさんたちの多くは、基本的には昭和リスペクトなのです。年功序列万歳、格差社会万歳。男尊女卑万歳。外国人差別万歳。自分たちは偉いんだから、従え。昭和や平成の高校運動部と何ら変わりません。先輩の言うことは絶対だ。歯向かうなら出て行け。なんて偉い根拠もないのに後輩のチャンスを奪い、自らの感情だけで支配をするのです。そして、そんなアホな人間に尻尾を振り、自分には被害が及ばないように必死に媚を売る権力の犬が必ずいるのです。

そして、頭の中では、昭和リスペクトなのに、口では自由な社会とか、誰でも平等にチャンスが与えられる社会なんて綺麗事を言い、その言葉に騙されているアホも残念ながら多いのが現実です。与えられた自由は自由ではなくて、自由もどき、イミテーションの自由で本当の自由とは違って、全然、自由ではなくて自由を感じるなんちゃって自由なのですが、そんな偽物の自由を与えられ「自由に生きている」なんて勘違いして、有難っているんです。実際はそんなことなくて、がんじがらめにされ、稼ぐことも死ぬことも許されない生ける屍、奴隷として社会の駒にされているのに気づいていません。特に30代半ば以上のおじさんの多くは、自分はイケてると勘違いし、さらに困ったことに、心のどこか、深層心理に昭和的な年功序列が残り、権力に媚を売って生きているのに気づいていないのです。

それは規模は違うけど、安倍元総理の発言と一緒で、立場が上の自分の意見は正しいという勘違い、そしてそれに従わない奴は間違っているという考えになるのです。さらに多くのバカな奴らが、そんな権力に媚を売り、自分だけは助かりたいと浅はかな考えで、従うから、バカな民衆がバカなリーダーを作り、バカなリーダーがバカな民衆を作る。言わば、社会全体がバカ製造機としてバカを作り、作られたバカがピュアな子供にバカな教育をし、バカになるように矯正し、子供はバカな親の望む立派なバカになるのです。そして、無気力で、無関心で、何も考えず、立場が上の人間に言われた通りに行動するバカばかりの世の中になるのです。

そんな流れを断ち切ろうとする人間も少なくないのですが、そんな人は現代の日本では一部のマイノリティとして、ツラく、苦しい、差別の中で生きていくしかないのです。

今回の安倍元総理の発言について、擁護をする訳ではありませんが、困ったことに本人は真剣に間違っているとは思ってないのです。これは安倍晋三くんだけでなく、麻生太郎くんでも、小沢一郎くんでも、小池百合子くんも一緒で、自分の考えは正しくて、従わない人間は頭が悪いという昭和の年功序列、理不尽な体育会系のノリがそこにあるのです。

そして、そんなノリが好きな日本人が多いので、あまり問題視されることはありません。今回のオリンピックだって、本当は日本全国民がどうした方が良いかを考え、意見を言うのが筋だと思うんだけど、多くの日本人は興味がなかったり、ないフリをしている人がほとんどです。こんな腐った国だと世界中に晒す必要もあると思うので、僕はオリンピックを強行し、世界中から冷笑をされ、その後冷遇をされるきっかけになる東京オリンピックは開催するべきだと思います。

ただ、そんな失敗にも気づかず、上手く行ったじゃん!?ってバカばかりだったら、本当に幻滅してしまいますが、そこまでバカばかりじゃなくて自浄作用が働くことを期待しています。