底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

2021年7月4日、友人が亡くなった

昨日、仲間であり、親友であり、ライバルであり、憧れの存在である人が亡くなった。享年48歳。僕の二つ上の兄貴的な存在。まだまだ、これから一緒にバカやって、お互いの息子たちの成長を楽しみ、息子たちの成長をサカナに呑んで騒いで笑い合うのが普通で疑いもしなかった中、誰にも話さず、隠していた脳腫瘍が原因で帰らぬ人となってしまいました。

こんなブログに晒されているなんて思いも寄らないと思うし、晒されているのが分かったらマジギレされてボコボコにされると思いますが、この気持ちをぶち撒ける術もなく、ただただ一人で抱えられなくて、つらく重い気持ちになってしまい、塞ぎ込んでしまいそうなので、内緒で書き残しておきます。

うちの長男と故人の長男が同じ小学校で、同じサッカーチームで本当に偶然知り合って、キャラも違うし、見た目も違うし、仕事も違うし、普通に生活をしていたら知り合うこともなかったんだけど、一緒に酒を飲み、本音で話し、激突し、言い合いにもなったけど、全然違う価値観をすり合わせ、いつの間にか、息子の保護者という繋がりだけではなく、付き合える仲間になりました。なんて話をするのも照れるし、故人は怒るかも知れないけど、今日は良いよね。

強面で、他人を寄せつけないオーラを纏い、いつも気を張ってカッコ良い兄貴でした。会えば必ず絡んでくれるし、社会人に特有のウワベだけの建前じゃなく、本音で真剣に話をしてくれる仲間で、損得なんて関係なく、お互いに困ったことがあれば助け合う仲間。本当に熱い男でした。

僕と故人を含む3人で、いつも子供たちのサッカーチームのことについて考えていました。サッカーが上手くなるのはもちろん、子供たちは5年後、10年後、20年後もずっと未来永劫仲良しでいつまでも、つるんで欲しい。そのためには大人として、親父として、コーチとして出来ることは全力でやろうぜなんて話をし、気づけば10年近い付き合いを続けていました。

子供たちの将来のことを一緒に真剣に考え、息子たちがお酒が飲めるようになったら一緒に飲もうなんて約束をしたのに、それももう叶いません。

死因は、脳腫瘍だったそうです。カッコつけて、心配されたくないからとカミさんにしか話をしてなくて、忙しくて病院にも行かなくて、好きなお酒を前日まで飲んで、自分のことなのに、どこか他人事で、早く病院に行って処置をして貰えば良かったのに、知っていれば、キレられようが、怒られようが無理矢理でも、引っ張ってでも病院に連れて行ったのに・・・,

故人と最後の思い出は、亡くなる一週間前に故人の息子の足のサイズが親父に追いついたこと、うちの息子がやっとジュニアサイズではないスパイクを買ったなんてくだらない、本当にくだらない話、たわいもない話をしたことです。こんなことになるとは、全然思っていなくて別れ際に「近いうちに飲みに行きましょう」「コロナだから無理じゃね?」なんて普段と変わらない話をし「またね」なんて次があると疑いもしませんでした。

変わらないなんてことはなくて、変わるのが当たり前で、変わるから人生は楽しいと思っていたのに、急すぎてそれも想像もしない方向に変わってしまい、本当にどうやって気持ちの整理をすれば良いのか分からなくて本当に苦しい。

まだまだはえーよ。これからじゃん? 一緒に息子たちと飲みたかったじゃん。もっと話したかったよ。もっと飲みたかったよ。今までの恩をどうやって返せばいいんだよ? マジで。残された男3兄弟はどうすんだよ。