底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

驚愕!! 誰からも好かれようとする人間の末路

「誰からも嫌われないように生きなさい」

「誰とでも仲良く喧嘩なんてもっての外」

そんなことを純粋無垢な子供たちに教え、自ら周りに気を使い、自分の意見も持たず、ただただ嫌われたくないと権力者に歯向かうこともなく「良い人」を演じている人は居ても居なくても問題なくて、自分の立場を守るために意固地になり、結果、嫌われるのです。反対に「あいつはクソだ」とか「ろくでなし」なんて言われる自由気ままに好きなこと、やりたいことを続け、嫌われている人間の方が仲間に囲まれ幸せな人生を過ごせます。

特に多様性を認めるようになった現代では、全ての人から好かれるなんてことは不可能で、誰かに好かれれば誰かに嫌われるのが当たり前で、そんな不可能なことにチャレンジする八方美人は、勇敢で優秀で素晴らしいと思いますが、時代錯誤も甚だしいのです。はっきり言って誰にも嫌われないと言うことは、誰からも相手にされないと言うことで、敵もいなければ、味方もいない状態です。いっそのこと、スペシャルな仲間を作るためには、思いっきり嫌われ、一部の人に思いっきり好かれる人間の方が幸せなのです。

誰からも嫌われたくない男の末路

これは、僕に媚を売り、僕が嫌いで目も合わせないクソ野郎にも媚を売り、どちらにも良い顔をしていた宮川くんと言う人物の話ですが、偶然、僕とクソ野郎が和解をした時、宮川くんは立場がなくなり、僕たちの仲間からも、クソ野郎の仲間からも嫌われてしまいました。今ではどこで何をしているか誰も知らない可哀想な宮川くん。またどこかで誰にでも媚を売っているのかも知れませんが、濃ゆい仲間も出来ず、あちこちで良い顔をしていることでしょう。そんな腐った本性がバレずに生き延びて欲しいと願います。

この魑魅魍魎が蠢く、現代の社会の中で「良い人」とは、都合の良い人、使いやすい人であって、都合が悪くなれば必要とされない人間なのです。そして、嫌われる人と言うのは、その人の価値観があり、価値観、生き方、考え方の違いで衝突をすることもあるのです。価値観や考え方が違う人間とは衝突をするのが当たり前で、価値観が同じ人間は共感し、濃ゆい仲間になるのです。嫌われたくないからとあちこちで都合の良い男を演じていた宮川くんは、価値観もなく、あったとしても表に出すことがないので誰からも信用されなかったのです。

これは、宮川くんに限ったことではなくて、菅総理大臣を初め、日本人に多く存在します。良くも悪くも嫌われることを恐れずに自分の意見を言える人は、コアなファンを掴むことが可能になるのです。この世で一番幸せな生き方は自分のエゴを通して生きることなのですが、そのためには、仲間と価値観を共感し、お互いを認め合うことが必要です。「あいつなら、そう考えるわな。しゃーないな」なんて思われるのがベストなのです。

嫌われるても問題はない

好き勝手に生きていて、嫌われても全然問題はありません。問題ないと言うよりは嫌われることで、反対に濃ゆい仲間が集まってくるのです。例えば、僕の場合、誰にでも媚を売る人間は嫌いなので近寄ってきて欲しくはありません。そんな人間には嫌われても問題ありません。そして、僕は正しいと思っていることを同じように正しいと思ってくれる人だけが周りにいてくれれば問題ありません。例えば、クルマなんて必要ないなんて言っている人は近くにいてくれる必要はなくて「車は男のステータスだ」と考えている人間だけに囲まれているのが幸せなのです。

クルマなんて必要ないのにバカみたいに金をかけて、アホだなと考える人の気持ちも分かるし、むしろ経済的に考えれば理に適っているのですが、やっぱりカッコ良いクルマに乗ってブイブイ言わせたいという欲求を持っているわけで、クルマ不要論の人とは仲良くなれないわけです。ですが、世の中には良いクルマに乗りたいと考える人も多く、そんな価値観が同じ人間とツルんでいれば幸せなのです。むしろ、クルマ不要論の人間に嫌われないために「クルマなんて・・・」などと心にもないことを言ってしまうと、本当は仲良くしたいクルマ狂の人間からは嫌われてしまうのです。

これはクルマだけではなく、全ての価値観で同じ現象が起こります。それが個性だし、人間らしさなのです。つまり全ての人間に合わせることなんて不可能なのです。その不可能にチャレンジして失敗するリスクを考えたら、自分と価値観が違う人間に嫌われても、自分と価値観が近い人間に好かれる方が何十倍も良い人生が送れるのです。

人間は一人では生きていけない

人間は弱く脆い生き物なので、一人で生きてはいけません。だからこそ、損得を抜きにして、お互いに助け合える濃ゆい関係の仲間が必要なのです。そして、損得を抜きにして助け合える仲間というのは簡単には出来ません。衝突もするし、喧嘩もします。そして、お互いの本心、本音を晒し、否定し、認め合い濃ゆい関係が築けるのです。

嫌われたくないからと相手の意見に従順に従う人間は、信頼が得られず、濃ゆい関係にはなりません。いつまで経っても都合良く使われる人間なのです。そして、都合が悪くなれば、捨てられる運命にあるのです。誰からも嫌われず、好かれず、自分の好きなことも出来ず、クソみたいな人生を送ってしまうのです。残念ながら、宮川くんは誰に聞いても、どこで何をしているかはわかりません。つまり、誰からも相手にされなくなってしまったのです。

考え方の違いですが、一人では生きていけないから、誰からも嫌われたくないと考えるのは浅はかで、将来的には何も得がありません。誰からもリスペクトされず、誰からも相手にされず、使い捨てにされてしまうのです。そして、日本の教育はそんな使い捨ての人間を育てて、不幸な人間を作り、格差社会を形成したのです。人生を謳歌している、いわゆる成功者は自分の価値観を信じ、反対意見をねじ伏せ、我が道を進んだ人間なのです。その夢を実現するためには、信頼がおける濃ゆい仲間が必要で、その仲間は、成功者の強い信念に共感し、同じ道を進んでくれたのです。

特に多様性の現代は、万人に好かれる必要はなく、コアな仲間にだけ好かれれば、自らのエゴを通し、幸せな生活が得られるのです。

八方美人の宮川くんが、あのままで成功しているとは思えません。もしかしたら、大成功を納めて、僕たちのような底辺の人間とは距離をとっているのかも知れませんが、それでも良いと思います。僕は僕なりに楽しい人生を謳歌しているので・・・