「勉強をする理由」について、たまたま記事をインターネットで見かけ「なるほどな」なんて共感ができず、ちょっとイライラしたので投稿しています。
もちろん、テストの点数を撮るための勉強も大切だし、良い点数を取ることで活躍できる選択の幅が広がることは否定しない。ただ、高学歴だから、どんな職業につけるというのは幻想で高学歴の人間とそうでない人間は合間みれることはなく、高学歴じゃつけない職業があるのです。この人は可哀想だけど、想像でしか世の中を知らず、典型的なキャリア組であってノンキャリアの世界を知らな過ぎです。
まず、冒頭で僕の価値観と違い過ぎて読み進める気にはなりませんでした。
「勉強が好きなのね」と小さいころから言われ続けてきたわたしは、身もふたもない実感として「勉強はとくに好きではないな」と思っています。だって、勉強より楽しいことは、世の中には山ほどありますから。遊んでいたほうが楽しいに決まっています。
だからこそ、勉強が嫌いだったり苦痛を感じたりしている人に、わたしは強く伝えたい。
「勉強は楽しいものではない」と。
むしろ、これを認めないと、面白くもないことを続けることはできません。もちろん、勉強をしていて難しい問題が解けた瞬間や、知的好奇心が広がっていく感覚を楽しいと感じるときはあります。
でも、それはあくまで一時的なもの。勉強の大部分は、覚えるべきことをひたすら覚え、同じルーティンを繰り返していく、まさに忍耐の連続です。そんな勉強に苦痛を感じるのは、むしろ正常で、あたりまえの状態だと思いませんか?
新しい知識を学ぶことはいくつになっても楽しく、子供の頃にあんなに嫌いだった勉強が大人になってから楽しくなり、この現象はなんと言えば良いのかを考えている僕からするとちゃんちゃらおかしい。
仮にも工学修士(大学院卒)をした僕ですが、自分が学んでこなかったプログラミングやデザイン、心理学、行動経済学など今まで点と点だった知識が学ぶことでつながり、一気に目の前が広がるような感覚、知的好奇心を満たす感覚はいくつになっても必要だと思っているし、いくつになっても身につけた知識で状況を変えることができるのです。
実際に僕の場合、大学院まで化学を学んでいたのですが、就職をし、プログラミングに興味を持ち、スーパープログラマーを目指し切磋琢磨し、デザインを学び、Webクリエーターとして稼ぎ、現在ではプログラミング、デザイン、Webマーケッター、日本サッカー協会公認指導者として楽しんで稼いでいます。そして、やっぱり勉強は若いときにしておいた方が良かったなと実感をしているのです。
勉強をする意味
勉強をする意味は選択肢を増やすことであるのは共感できるのですが、やりたいことをやるために勉強が必要であって、好きなことをするために必要な能力を身につけるのが勉強であって早い時期にやりたいことを見つければ、そのことに特化した勉強をすればよくて、クソみたいにテストの点数を取ることが勉強ではないのです。
例えば、デザインの仕事がしたいのであれば、地理なんてクソの役にも立たない勉強なのでやる必要はなく、何もやりたいことがないのであれば、学生という人生で一番楽な時期を先延ばしするために勉強をして自分のやりたいことを見つける期間として、自分の将来を考えるための猶予期間として、テストで点数を取る勉強をするしかないのです。
色々な知識を学び、自分の興味があることを見つけるために勉強は必要なのであって、やりたいこと好きなことを見つけたら、集中して極める努力をすれば良いのです。テストの点数を取るための勉強ができたとしても社会人になり、クソみたいに仕事ができない人間なんて星の数ほどいるし、学歴がなくても成功している人は思ったよりたくさんいます。テストの点数を取るための勉強なんて人生において役には立たず、マニアックでテストに出ないような知識を入れるのも勉強であって、どちらかというとテストに出ないような知識の方が生きていく上では重要な気がします。
なせ勉強をした方が良いのか
勉強とは好きなことを極めるため、好きなことで稼ぎ、生きていくためにするものであって、嫌々する勉強は勉強ではないんです。学校のテストで良い点数を取る勉強が勉強だと思っているクソみたいな考えであるなら、勉強なんてしなくても良いとさえ思ってしまいます。
好きなことを見つけるために勉強をするわけであって、直接、勉強をすることで好きなことを見つけられないとしても、勉強をして(テストで点数を取って)高校、大学と自分のやりたいことを見つけることを先延ばしできるからテストで点数を取り、進学をした方が良いだけなんです。
何がなんでもテストで点数を取ることが大切なわけではない。やりたいことを見つけ、それができるようになることが勉強なんです。