底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

承認欲求があるのは認める。だけど、認めてもらいたい相手は誰だ?

人間だけでも他人から認めて貰いたいと思う『承認欲求』というものがあります。

現代社会で生きていると他人との関わりが必要であり、他人に認められることで「社会に順応している」「自分は必要とされている人間なんだ」という安心感を得られるからです。

自分の存在価値は「自分だけが知っているから他人にどう思われたって関係ない」という強い人間は少なく、いつでも他人の目、世間の目を気にして生きることで自分の存在価値を見出そうとするのです。

そして、多くの人は「認めて貰いたいターゲット」が曖昧で「誰からも好かれたい」なんて実現不可能な夢を抱き、夢破れ、悩み苦しんでいるのが現実ではないでしょうか。

「誰からも好かれたい」「みんなから認めて欲しい」と考えても無理な話で、どれだけ完璧なヒーローでも、必ず敵になる人間はいるのです。

どんなに成功を収めても、嫉妬して足を引っ張ってくる人間はいるし、周りと協調せずにわがまま放題の人間にも味方が生まれます。

そこに倫理的、道徳的な正義を求める必要はなくて、周りに流される人間のままでいるか、周りを巻き込む能力を身につけるかの選択しかありません。

誰に承認欲求を満たして貰うか

「誰からも認められる素晴らしい人間になりなさい」「他人のためになる人間になりなさい」「周りの人に迷惑をかけずに生きなさい」なんて道徳的な正義を教え込まれ、実践し、他人のエゴに振り回され、自分を利用しようとしている人間に認めて貰っても、楽しい人生なんて送れるはずもなく、都合よく利用され、捨てられるのがオチです。

なんか希望もない話なんだけど、それが現実で、多くの人は「地球上の全人類に嫌われてはいけない」「みんなの役に立たなければならない」という正義のために理不尽や不運に襲われ、必死に戦っています。

反対に成功者と呼ばれる人たちが嫌われる原因は、世間が考え、実践している『道徳的な正義』とは違う『我が道』『自分だけの正義』すなわち『エゴ』を信じて、そのエゴを押し通すから。

つまり、こういうことです。

成功者は「誰からも承認して貰いたい」とは考えてなく、自分に都合の良い人たちにだけに認めて貰えれば良いということに気づいた人。自分のエゴを押し通すために必要な人間にだけ認めて貰えば、他の人間には認めて貰う必要はなく、むしろ嫌われても問題はありません。極論で言えば。

誰からも好かれるという「正しいこと」は実現不可能な目標であって、誰に承認をして貰うかを明確にして、そのターゲットにのみ認めて貰えば良いという割り切りが大切。

もちろん、誰からも好かれる聖人君子を目指すことは否定しません。出来るなら、そんな人間になりたい。

だけど、自分を押し殺し、他人のエゴで作られた正義と呼ばれるモノを信じて、その正義を武器に全人類と戦う人間は、誰からも承認されない悲しい結末を迎えるのです。

誰にでも認めて貰うことは不可能である

例えば、メジャーリーガーの大谷翔平。2021年シーズンの彼の活躍は誰もが認める。なんてことはなくて、どこかの誰かは必ず内心「ムカつく」と思っている人がいます。全員一致でなんてことは絶対になくて、もし仮に満場一致だったら、それこそ気持ちが悪い。

もちろん、僕は「大谷くん、すげーな」と思うけど、世の中にはスポーツを恨む人だっているし、輝いている人間を妬む人間もいるのが現実です。

他にも、ジョンレノンだってそうだし、スティーブンジョブズだって、多くの人に成功者と認められる人が全員から喝采を受けていたと言うことはありません。ただ、支持者が多いだけで全人類から好かれると言うことはないのです。

それは神様だって一緒で、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教・・・などなどお互いに信じている神様が違えば、他の神様を信仰する宗教を邪教なんて平気で否定をします。

神様ですら、全人類から認めてもらえないのに、たかが一人の人間が誰からも好かれるなんて不可能で夢のような『作られた正義』を守るために「人格者にならなければならない」「誰からも尊敬される人間にならなければならない」と必死になっています。

誰に『承認』をしてもらうかが大切

こんな話をすると必ず「お前は何様だ」とか「そんな人間がいるから社会から悪がいなくならない」なんて反論をしてくる人がいるんだけど、そんな人間も『自分とその周りの人間』を守りたいというエゴを通したいだけで、多くの人に自分のエゴを認めてもらいたいという『承認欲求』だけであって、自分と違う価値観の人間を自分の生活圏から排他したいだけなのです。

「自分の価値観が正しい」というのを証明するためには「他人から認めてもらう」必要があって、その承認欲求が強い人が、道徳的、社会的な正義感を武器に、自分と違う価値観の人間を潰しにかかる・・・。

まるっきり同じ価値観の人間なんているわけがなくて、お互いに認めてもらいたい価値観があり、集団生活の中で、その価値観を否定されたくないから『承認欲求』という高度な欲求が生まれ、自分に自信がないから「自分は社会に求められている人間だ」と確認をしたいという思うのです。僕も含めて・・・。

匿名ブログじゃなければ、こんなことを言うはずもなく、テレビのコメンテーターも話さず、Amazonで売れている自己啓発本、ビジネス書にも書いていないのは、誰もが心の奥底にある汚い部分を晒すリスクを知っているからで、僕も匿名ブログじゃなければ、こんな話をすることはありません。

自分が幸せな生活を送るための必要な人間にだけ認めて貰えば、全人類に認めてもらう必要はありません。

全人類に対する『承認欲求』を持っていると実現不可能だし「誰かの迷惑になるかも・・・」なんて行動が起こせなくなってしまいます。

なんとなく卑怯だとか、ゲスな人間だと思うかもしれませんが、魑魅魍魎が蠢く社会で生き抜くためには必要な知恵であって、自分の幸せを手に入れるためには、周りの人間を巻き込む必要があるのです。

そのためには誰に評価をしてもらいたいかを考えて行動することが大切で、間違った人間に承認をされても、あなたの承認欲求は満たされないし、幸せにはならないのです。

会社で出世したいと思うのであれば、ライバルたちに認められるより、上司、人事権を持つ人間に認めて貰わなえれば、出世なんてできるわけがないし、スポーツでレギュラーになりたいのであれば、監督、コーチ、チームメイトに認めて貰わなければ夢は叶いません。

残酷だけど、それが現実で「正しい人間が正しいことをしているから、正しい社会である」という汚い部分から目を背けていても、幸せにはなれません。

昔から教え込まれてきた社会的正義、道徳的正義を信じ、誰からも好かれようなんてことを考えず、自分は誰に認めて貰えば幸せになるかを考えた方が、成功した人生を送る確率が高くなります。

嫌な人間の方が、成功者になる確率は高くて、どんなに嫌な奴でも成功すると馬鹿みたいに「あの人は、成功しているから人格者のハズだ」と勘違いして支持をする人たちが増えてくるのです。好きか嫌いかは別として、社会はそんな仕組みで動いています。残念ながら・・・。

強すぎる承認欲求は悪にしかなりません。まずは自分の周りの人間に認めてもらうことから初めて見てはいかがでしょうか。