底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

2020年前と後で大きく変わったこと

2020年から稀有な事態が世界中を襲い、ソーシャルディスタンスを守り、他人との繋がりを奪った。沢山の人の命を奪い、自由を奪い、まだまだ落ち着く気配のない感染症のせいで『普通』という価値観が書き換えらました。

普通、サラリーマンは会社で働くものだったし、普通に休みの日は子供たちと外出していたし、毎日のように同僚、仲間と飲み歩いてクダを巻き、バカみたいに内容のない会話でクソ盛り上がり、ストレス発散するのが普通でした。

2020年以降は、一年を通してマスクをするのが普通になったし、ひとりで遊ぶのが普通になり、何でもリモートで行うのが第一選択肢になって賛否両論ありますが、働き方、生活、暮らし、価値観までも変えなくては生きていくことが難しくなったのです。

平和ボケをしていて、安心安全で生きることに困らない、欲しいものは手に入る飽和社会で生きている現代日本人としては緊急事態なんて対岸の火事であって遠くから眺めるものであり、まさか自分が巻き込まれるなんて想像もしておらず、さらに慣れない生活を強いられ、間接的にストレスを溜め、精神的に追い込まれ、発散する場もなく悶々と地味で耐えるだけの生活を送っているのです。

ですが、悪いことばかりではありません。不謹慎な話ですが、これくらいインパクトが強く、強制的に行動を求める刺激を与えないと変化できないクソみたいに現状維持を良しとし、色々と問題があるのに目をつぶって気づかないフリをしていて、問題提起をすると「キチガイ」だの「空気の読めない人間」などとレッテルを貼り、意見を聞かない意固地になっている社会に与えられた試練なのかもしれません。

多くの犠牲、命を奪ったコロナで何も変わらなければ悔やんでも悔やみきれません。生き残った人間は追悼の意を表し、先に進むしかないのです。

平時のときでは見えなかった人間の弱さ、汚さ、脆さをまざまざと見せつけられ、自ら考え答えを導き出すコト、状況を判断し最適解を実行する勇気の大切さを感じたのが一番の変化だと思います。

2020年以降はそれ以前に比べると選択肢が増え、自ら判断し行動することを求めることが多くなってきました。出社するのか、リモートにするのか、遊びに行くのか、自宅で大人しくしているのか、何も考えずに他人の言いなりになり我が身を危険から守ることが普通になったのです。

奇しくもDX(デジタルトランスメーション)と重なり誰かの言いなりになって生活を送る人間にとってはツラく厳しい時代に突入したのです。現在、コンピュータに人間が勝てるのは判断の精度くらいで、偶然にもコロナ生活で求められている能力と一致しているのです。

望まなくても状況が変わり、2020年以前と違い、より多様性、よりニッチになって行くのです。そして今までのように「右にならえ」というマス的な行動より、自ら状況を判断し、考え最適解を見つける能力を持った人間だけが時代の変化に対応でき、生き残ることができるのです。立ち止まっていても何も変わりません。行動する勇気を持ちましょう。