底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

コロナ渦、オリンピックで見えたクズ発言のワケ

コロナ渦で改めて思ったんですが、誰もが幸せな世界というのは実現不可能で、理想的な桃源郷のような社会を作るという夢物語に付き合っていると裏切られて、バカを見ることになるのです。

例えば、こんなアホなことを言い出す人

政府 酒類取引停止要請を撤回へ - Yahoo!ニュース

例えば、自分とその周りのことしか考えられない人など、結局は誰かの言い分を聞くと、その犠牲になる人は必ず生まれるんです。

WHOがワクチンの公平な分配目指し見解「3回目の接種すべきでない」 - ライブドアニュース

それは自由経済社会だからという訳ではなくて、社会主義でも一緒でどんな仕組みを作っても誰もが幸せになる世の中なんて無理な話なんです。そんな社会を作るためには、全人類の性根を叩き直し、欲望や感情を捨て、自己犠牲精神を植え付けなければなりません。幸せな世の中というのは、自分の思い通りになる世の中であって、全ての人のエゴが満たされるのが誰にとっても幸せな世界なのです。

人間には抑えられない欲望があって、溢れ出てくる感情があるのです。その欲望と感情がどす黒く、複雑に絡み合ってエゴになり、他人のエゴに負けず、自分のエゴを通した人だけが幸せになるのです。そのためには金と権力を持つ必要があり、金と権力を持った人たちのエゴが通るのが自由市場経済の根本にあるのです。

そして、そんなエゴが汚いなんて教わり、エゴを通さない人間は残念ながら他人のエゴを満たすための駒として一生を送ることになってしまいます。

人間の持つ価値観は非常時になれば、切羽詰まれば詰まる程、自分(とその周りの人間)が幸せになれば良い社会だと勘違いをしてしまうのです。冷静に考えれば間違っていることでも、違う価値観、自分と遠い人間のことなど気にもならず、自分のことで精一杯になってしまうのです。

今回の西村大臣の居酒屋潰しみたいな発言だって、おそらく本心だと思います。酒の提供さえなければ市中感染が抑えられる。どうにかして居酒屋に協力してもらおうと脅しをかけたのです。本当にアホみたいな行動ですが、決して国民を笑かしてやろうという渾身のギャグではなく、真剣に考えた結果なのです。

そこに犠牲者がいたとしても、自分(とその周りの人間)には関係ない。多くの国民もそれを願っているハズなんて思い、自分の近く、この場合は政治家の皆さんに「どうよ? 良くね?」なんて相談をし「良いんじゃね? それで行くか」なんて同じ価値観の人達で賛同があったんだと思います。

これは今回のアホみたいな西村大臣の発言だけではなく、オリンピック実行委員会から追い出された森さんもそうだし、元委員長の丸山さんもそうだし、有名人じゃなくても少年サッカーのコーチ陣だって、ママ友だって同じことが起きているのです。クソみたいな足の引っ張り合い、傷の舐め合いをしている集団に多く、自分たちと価値観が違う人を敵対しして、自らの行動を正当化しようとして自分たちは間違っていないと思い込み、過去と今しかなく、これからのことなんて考えられないのです。

昔は良かったなんて、老害みたいなことを言いたくはないのですが、バブルの頃は、もっとギラついていて欲望を丸出しにして足りないものを手に入れるため、生き残るため他人の目など気にせずがっついて生きていました。ですが、みんなが一丸となってより良い社会のために必死に自己犠牲をしてでも助け合っていたのです。共通の価値観として「より良い生活」を手に入れようと躍起になっていたのです。

いつの頃からか、足りないものがなくなり、多様性が大切だと言い出し、全ては自己責任だなんて風潮が流行り、自分さえ良ければ全て良しの世の中になってしまった。

そしてピュアで騙されやすい人間は利用され、権力者のエゴを満たすための存在に成り下がってしまったのです。全てが足りなかった時代は同じ目標を持ち、足りないものを補おうと一丸となっていたのですが、全てが満たされてしまった現代では同じ価値観で突き進むことが難しくなってしまいました。胸くそ悪い話ですが、みんな自分(とその周りの人間)さえ幸せで有れば他人の犠牲なんて関係ないのです。

それは時代の流れなので仕方がありませんが、そんな価値観を持っていることを認識していない人が多いのが残念で堪りません。どうせなら、俺だけ幸せなら良いんだよと叫んで欲しい。他人のためだとか、世の中のためなんて綺麗事じゃなく、私利私欲のためだとはっきり言ってくれれば、納得は出来なくても理解は出来るのに綺麗事を言うから腹が立つんです。

僕のエゴですが・・・