底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

【オリンピック】ソフトボールの栄光と女子サッカーの現状

毎日のように熱戦が伝えられ、徐々に盛り上がりをみせている東京オリンピック2020ですが、ソフトボールが悲願の金メダルを取り、なにか最高潮に達した感が否めません。もちろん他競技の選手たちも頑張っているのですが個人的にソフトボールには金メダルを取って欲しかったので、とても嬉しく思います。

僕は小中はサッカー、高校はラグビーソフトボール、野球は経験がある訳でもなく肩入れをしていた訳ではなく、どちらかと言うと超体育会系の野球、ソフトが嫌いでした。ですが、今回のソフトボールは13年前に活躍をした上野選手の復帰や宇都木監督との絆など背景を知り、感情移入がしやすかったのが理由で試合が楽しみであり応援をしていました。

マジ感動しました。

女子サッカーに感情移入できない原因

コロナだとか、灼熱地獄だとか、台風だとか、なんだかんだと言いながらソフトボールに限らず、選手たちの熱い気持ちをみせられると応援する側も盛り上がるのです。そして、その流れで女子サッカーを観ると何かが足りない。勝って予選リーグを突破したで結果的には悪くないんだけど気持ちが入らない。超個人的な話ですが、女子サッカーは淡々と観てしまう僕がいるのです。明らかに10年前、2011年のワールドカップの時とは感情移入の度合いが少ないのです。

その原因は、選手、チームの背景がないとかではなく、ガムシャラさが感じられないからなんです。勝つためにプレーをするのはもちろんなのですが、必死になり、カッコ悪くても、泥臭くても、ひたむきに勝利を目指すプレーが少ない。多くの人は、勝ったのにとか、結果を出したのにと言うかも知れませんが、これは日本のスポーツの危機だと感じてしまうのです。

もちろんクソ暑い中、頑張って必死にプレーをしている選手たちの気持ちも分かります。ですが、一度降板した後に戻ってきた上野選手のような必死さとか、世界レベルのプレーヤーだったのに人一倍走り回る澤選手のように勝つために必死になるプレーを求めてしまうのです。観ていて余力を残している感じというか、守りに入っているというか、余裕すら感じてしまいます。スポーツは結果が全てだという気持ちも分かりますが、それなら血の通っていないシミュレーションゲームで良くて、生身の人間がやるスポーツは感情がないと観ている方も感情移入が出来ず、観ていても楽しくないのです。

草の根の少年サッカーから

これは日本のスポーツ、草の根の少年サッカーにも言えることで、両チーム共に、上手く綺麗なサッカーをしていれば技術的に上手いチームが勝つのが当たり前で、技術的に劣るチームが勝つ、ジャイアントキリングが起きず、観ていてつまらない試合になっているのです。勝つために技術を身につけるトレーニングを積み試合に臨むのですが、相手のスキルが高いと「負けて当然、勝つためにもっと練習をしよう」なんて軽々しく口にする指導者の問題だと感じます。

そんなクソみたいな考えの指導者が多のですが、どうあがいても諸外国の選手より体格が劣る日本人は世界大会で勝てなくて当然だと言っているのと同じでそれは違うのです。クソみたいな大人の発言で子供たちは「勝てない相手だからしょうがない」なんて気持ちになってしまうのです。そうなると自分より上手い選手に出会うと「あいつの方が上手いから俺は終わったな」なんて、まだまだ夢を叶えるチャンスはあるのに諦める癖がつき、こじんまりとした人間になってしまうのです。

サッカーはジャイアントキリングといって格上のチームに勝つことが出来るスポーツなのです。そのためには諦めず必死に食らいつき、絶対に勝ってやるという気持ち、なんか昭和的だけど根性が必要なのです。泥臭くカッコ悪くても勝利のために自分の持てる全てを出し、勝利のために食らいつくことで能力が上がっていくのです。男子サッカーの堂安律選手だったと思いますが「大会中に上手くなっていけば優勝も狙えるチームです」とインタビューで話していましたが、上手くなるために練習をするという意味ではなく、自分の能力を出し切り、必死に戦うことで選手としての能力が上がることを知っている人間だと感じました。

そして何よりも、ひたむきに勝利に向かって感情を剥き出しにして頑張る姿を観て感情移入し応援に熱が入り感動するのです。そんな熱い戦いがスポーツの醍醐味なのではないでしょうか。

こんな記事を見つけました。

news.yahoo.co.jp

決勝リーグでは、泥臭く、ひたむきに頑張る姿を見せて欲しいと願います。



ある少年サッカーチームへ攻撃的な質問・要望書を出すことにした理由

以下の記事で、以前、息子共々、所属をしていた少年サッカーチームへ質問要望書を提出することにしました。もう、このチームでは指導もしておらず、関係ないと言えば関係ないのですが、以前からいる子供、近所の知り合いの子供が所属をしており、チームはどう考えているのかを未だに聞かれるのです。このチームの指導をやめて4年も経ち関係ないのですが、クソみたいな指導で「子供たちが楽しめていない」ので助けて欲しいと言われるとサッカーの指導者の端くれとして、腹が立つのです。

 

hirame18.hatenadiary.jp

僕が指導をしていたときから、監督も変わっておらず、チームの運営も変わっていないハズなのですが、クソみたいに「勝てば良いんだろ?」みたいな中途半端な勝利至上主義に走り、子供の将来ではなく「今」それも大人が考えたサッカーを子供に押し付け、コーチングはしておらず、令和のこの時代、育成理論や方法なんてインターネットで調べれば、すぐにヒットするにも関わらず、大人のサッカーを押し付けているのが現状です。

何をどこで間違えたのかは不明ですが、アホみたいな価値観がチーム内で共有され、子供たちの楽しみは『勝つこと』だけだとおっしゃる。サッカーの楽しさは他にもたくさんあって、小学生の年代では、自分で考えて行動する楽しさ、友達と協力する楽しさを心の底から味わって欲しいと思うのですが、大人の考えを押し付け、コーチの思い通りにプレーができない子供は試合に出さないなんてクソとしか言いようがない指導をしているのです。

少年サッカーの役割

少年サッカーはサッカーを好きになるきっかけであり、子供の成長に合わせた環境、トレーニングを用意する必要があるのはサッカーの指導法を学んだ人間、子供の育成を真剣に考えたことがある人間からすると常識なのですが、子供の成長には一切関係なく、ただただコーチの思いつきでトレーニングをさせ、問題点の改善なども行わず、ひたすらダメ出しをしているだけで判断の基準もなければ、子供の運動神経をつなぐ地味で時間のかかるトレーニングもすっ飛ばし、ただただツラく苦しいトレーニングを繰り返しているのです。

これは、僕が約半世紀生きてきて常々思っていることなのですが苦手なこと、出来ないことは大人になってもチャレンジすることを拒む人間が多く、楽しいこと、得意なことは止められても勝手に行動するのです。つまり、少年サッカーでは「サッカーは楽しい」と子供に認識させ、子供が自ら「上手くなりたい」と思わせ、子供の成長のタイミングに合わせたトレーニングを用意してあげるのが良い指導者なのです。

サッカーは少年サッカー、小学生、ジュニアで終わりではなく、中学生、高校、大学、社会人と続くので、この年代にしか出来ないサッカーを経験させ、サッカーって楽しい、続けたいと思わせるのが街のボランティアチームの役割であり、任務なのです。

楽しいサッカーを履き違えている

自分は大人になりクソみたいで理不尽なことを平気で言われ、悶々として生きているくせに子供たちには理不尽で言ったことを実行させるソルジャーを求め、子供たちの感情は無視して良いハズがありません。

いくら勝ったとしても瞬間的な楽しみでしかなく、過去にすがって生きるクズにはなって欲しくないと思いませんか?少なくとも僕は、一緒に同じ目標に向かい、共に戦った仲間である子供たちには、そんな大人にはなって欲しくありません。

サッカーの楽しさなんて小学生で全て分かるはずもなく、クソみたいな大人の価値観を押し付ける必要なんてなくて、子供たちが素直に楽しめれば良いのです。子供たちが勝ちたいと思うのであれば、それをサポートするのがコーチであり、周りの大人の役目であって、大人が勝ちたいと思うのは違うのです。それはコーチのエゴだし、親として自慢の息子にしたいという欲望なのです。

文句を言う理由

サッカーをプレーするのは子供たちであって、クソみたいな指導者、アホな保護者の欲望を満たすために子供を使うのは違います。クソみたいなチームであれば、クソみたいなチームだから、そんなチームだと分かって入れるように「子供のためなんて嘘だよ。親やコーチのエゴのために活動しています」と正直にアピールをして欲しい。

不幸な人間を増やすのは、クソみたいな考えを押し付ける大人のせいであって、子供のプロサッカー選手になりたいと言う夢を壊すドリームキラーになるのはそんな大人たちなのです。今回の質問要望書でクソみたいな考えになってしまったチームが変わるとはこれっぽっちも思っていません。このブログを通して、こんなクソチームが、ひとつでも改心し不幸な子供を一人でも救えれば良いと考えています。

なので、これからのやりとりは全て晒して行こうと考えています。もちろん、僕の考えと違って、子供なんて押さえつけなければいけないんだとか、どうすれば良いんだ?なんて意見があればコメントください。

必ず、お答えいたします。 

クソみたいなチームになってしまった少年サッカーチームへの質問要望書案全文公開

以前、私が指導していたチームで私がチームを離れ約4年。クソみたいなコーチがのさばり、多くの子供や保護者から相談を受けたので質問要望書として提出することになりました。まだ下書き状態ですが、全文を公開いたします。

質問要望書全文

「子供たちのために」なんて言いながら、監督や他コーチ、保護者の顔色を伺い、子供の意見は聞かず、高圧的な態度で押さえつけ、言うことを聞かない、子供のプレーを否定し、間違ったプレーを強要するのがチームとしての方針なのであれば「子供のため」「プレーヤーズファースト」という言葉は使わず、コーチのエゴ、大人がラクするためのチームであるという方針を全面に出して頂けたら幸いです。

3年前、当時の子供たちから「夏合宿がクソつまらなかった。なんで来なかったんだよ」と大人の事情を知らない無邪気でピュアな子供たちから散々話を聞き、監督に直にお伝え致しましたが、私の言葉足らずで理解をされていなかったようなので、ここでもう一度当時のことを振り返りまとめます。

子供たちは合宿に行き、サッカーをすることで満足をしているわけではなく、大人が一緒になって遊んでくれるというエンターテイメントというか、監督、コーチ、保護者と子供たちの距離を縮め、チームとしての一体感を求めていたのだと思います。なので、監督やコーチ、保護者は身を削ってでも子供たちを精一杯楽しませるのが大人の役目であり、ボランティアだからとか、面倒臭いからとか、疲れているからとか、どう接していいか分からないからなんて言い訳をしてはいけないのです。子供たちにとって大人はみんな指導者でサッカーそのものなのです。そして、そんな態度は子供たちに伝わります。

子供たちはそんな監督、コーチ、保護者の些細な態度に気づき「クソつまらなかった」という感想を持ち、心を許していない(仲間だと思われていない)監督やコーチではなく、私に話をしてくれたんだと認識をしています。なので世間話風に監督にお伝えをしたのですが、子供達のことを観察せず、意見も吸い上げられない監督、コーチ陣はアホみたいに意固地になり、私から誹謗中傷を受けたなんて被害者妄想をし、分析、吟味、改善を行わず、現状のような監督、コーチ、保護者がラクをするために子供を犠牲にするチームになってしまっているのです。

また、その後もクソみたいなチームになって貰いたくないとコーチOBとして、JFA公認指導者として、改善点を何度もご提案させて頂いております。クズみたいに大人、コーチという立場を利用し子供たちに高圧的な態度を取る指導者やチームでは教えられないからスクールや自宅でトレーニングして来いなどと平気で指導を放棄するアホな指導者が多数見受けられ、どちらも日本サッカー協会が撲滅を目指している指導者にも関わらず、監督をはじめ、コーチ、スタッフで庇護し、改善もせず、のさばらしているのが現状です。

言葉巧みに「子供の成長」「プレーヤーズファースト」なんて保護者に誤解を与えるようなキャッチコピーを使い、入部させ、監督、コーチ、スタッフの間違いを指摘すれば、辞めさせられ、子供からサッカーをする場を奪ってしまうと考えている保護者はチームが思っているより多く、私が相談を受けたり、聞いている話では全学年を合わせると10人以上おり、表面には出さず内心思っている保護者はもっといるのです。名前を出すと子供や保護者に被害が及ぶ恐れがあるため、ここでは公表しませんが必要であると判断をした場合、本人に確認の上、公表致します。

また以前、私から「クソみたいな指導をやめさせろ」とお話をさせて頂いた時に監督は改善しているとお答えになったと記憶しておりますが改善の兆しが見えず、より子供たち、保護者とチームスタッフの間に溝が広がり、保護者からの協力を得られていないのは保護者の力量もさることながら、チームとしての態度だと感じます。

私はチームを離れ数年経ちますが、いまだに他チームや事務局、保護者から相談を受けることがあります。全てはコーチに聞いても理解をしていないとか、適当なことを言い、責任感がなく仕切れないなんでことが原因であることがほとんどです。

なんて話をすると「知らないんだからしょうがない」とか「そこまでする必要があるとは思わなかった」なんて浅はかで卑怯な反論をしてくる人がいるのですが、そんな反論をしてくる人間ほど子供に対しては何も教えず、なんで出来ないんだなんてクソみたいな指導をしているのです。

事務局の仕事もそうですし、保護者として何をして欲しいかが伝えられておらず、というか保護者からの意見や質問に真摯に答えられていないコーチの方が多く、子供や保護者がチームから離れてしまっているのが現状です。

もちろん、監督、コーチ、スタッフの力量不足だということは気づき、改善案も用意され、実行されていると思います。サッカーの指導者として問題点の抽出、改善案の吟味、トレーニングの立案、実行なんて当たり前過ぎて「釈迦に説法」だとは思いますが、念のために進言させて頂きます。

現在把握している問題点、改善点、及び具体的な改善方法を一度開示して頂けませんでしょうか?

3年も改善を継続していて1ミリも改善されていないのは改善方法に問題があるような気がします。第三者としてアドバイスが出来るかも知れません。ちなみに私は会社の立て直し、職場改善、仕事の効率化のコンサルティングに従事し、JFA公認指導者の資格も保有しております。かなりチカラになれると自負しております。

残念ながら、ここまで子供たち、保護者から信用がなくなるとチームスタッフ以外から意見を聞く機会はないと思います。私は比較的、子供や保護者と話す機会も多く、文句や要望を聞いてものらりくらりと誤魔化してチームを庇っていましたが、話を聞けば聞くほどクソ過ぎて耐えられません。また、チームに伝えると誹謗中傷だと騒ぐ被害者妄想を持っているクソみたいなチームなので、私が損をするだけなので伝える気にもなりませんでした。

ここ3年間で辞めてしまった子供たちの中には改善して欲しいことを伝えても邪険に扱われ耐えられず、適当な理由をつけてサッカーを諦めなければならない子供もいて、その子に話を聞いています。保護者もチームに気を使い、本当のことを話せず、ウソの理由を考え辞める程、信用をなくしているなんて携わった人間としては悲しく腹立たしい限りです。

そして、サッカーを知ってしまった子供やサッカーを知っている保護者、子供のことを一番に考えている保護者は、同じことを考えていますが、チームとの摩擦を産まないようにひっそりと耐えているのです。これは特定学年だけでなく、チーム全体の話であって、決して誹謗中傷をしている訳ではありません。

まさか、今のチームの状態が「子供のため」とか「プレーヤーズファースト」だと認識をされているスタッフはいないと思いますが、もしそんな勘違いをしているのであれば、間違っているので早急に「コーチのため」「大人のため」のチームであると選手、保護者に御通達ください。言っていることとやっていることが乖離しすぎているので、永遠に子供たち、保護者の中にある鬱憤は晴れず、いつか大爆発をすることでしょう。ハッキリと「こういうチームである」と宣言することで、価値観が違う子供や保護者はチームを去り、お互いに嫌な思いをせずwin-winの関係になります。これは出来るだけ早く行うべきで、その方が傷が浅く済みます。ビジネスでいう損切りという考えです。

もしそうでなく、改善をお考えであれば、子供のためにいつまでに何をどう改善をしていくのか具体的に現在把握している問題点、改善点、及び具体的な改善方法をご開示ください。

ちなみに、これは個人的な意見ではなく、多くの保護者の意見を私なりにまとめたものです。必要であれば、この文書を公開し署名を集めて後日提出致します。私が見たり、子供たちや保護者から聞いたりして把握しているクソみたいな事例をまとめて提出も致します。

ボランティアで活動しているのは重々承知しておりますし、プライベートの時間、私財を投げうってまで指導法を学ぶ辛さや貴重な休日を潰してまで指導をする大変さは私も経験しているので理解をしているつもりです。ですが、全ては子供たちのため、子供たちの将来のためであって決してムダなことではありません。

例え、チームを辞めた後でも一緒に過ごした時間は色褪せることなく、いつまでも子供たちの心に残ります。20歳、30歳離れた一生の仲間が作れる貴重な経験をさせて貰っているのです。アホらしくツラいと思うかもしれませんが、子供たちにとっては指導者なのです。ボランティアだから出来ないとか、サッカーを知らないから出来ないという言い訳は子供には通用しません。できる限りのことをやり、真摯に向き合うのが大人としての義務なのではないでしょうか。

吟味の上、ご回答をよろしくお願いします。

hirame18.hatenadiary.jp

 

東京オリンピック2020で感じる一体感の少なさ

なんだかんだと言っても始まってしまえば、スポーツ好きとしてオリンピックを楽しもうと努力をしている自分がいて、コロナの感染者数が増えようが、危険水準になろうが、気にならなくなり、どちらかと言えば気が抜けているというか、コロナなんて関係なく、なんなら去年に予定通りやれば良かったのにと思うのです。

一方ではコロナの犠牲で亡くなった方、大変な思いをしている方がいるのも事実で、僕の身の回りにも直接的、間接的にコロナ渦に巻き込まれ、コロナを恨んでも恨みきれない人の気持ちも分かり複雑な気持ちでオリンピックを観戦しています。

今回のオリンピックは盛り上がって良いのか判断がつかず、気を使い観戦をしていて、冷静に周りを観察し、大嫌いな人間と同じように空気を読み、周りの目も気にしながら話をしなければならず人生で初の試みにチャレンジをしています。コロナという稀有な事態により、空気読まない教、唯我独尊、自分大好き人間として生きてきた僕でも他人の死を笑って乗り越えられる程、肝が座っておらず、気を使っているのです。

そして冷静沈着に冷めた目で観察をすると今回のオリンピックは日本人特有の同調圧力もなく多様性がそこにあり、村文化というか狭い日本の伝統ではなく、グローバルで自由な雰囲気がそこにあったのです。

良くも悪くも好きか嫌いかは別にして、楽しむ人だけ楽しめば良い。無理して盛り上がる必要もなく、ただただ個人的な身内で盛り上がれば良くて、周りの同調圧力というか、盛り上がらなくてはいけないという雰囲気がなく一体感が生まれていません。みんなで一緒に何かをしなくても良い、自己判断でやりたいことをして良い雰囲気が取り巻いていて寂しいような、嬉しいような、でもやっぱり寂しくて、みんなで盛り上がればもっと楽しいのにと思ってしまうのです。もう、国民が何かに向かって一体感が生まれることはないんだろうなというのが僕の感想です。そんなことはなく、コロナ渦が落ち着いたら、またスクラムを組んで協力をし、頑張る人を応援することがあるのかもしれませんが、なんとなく多様性という魔法の言葉で昔ながらの良き日本の任侠というか、正義は潰されてしまう気がしてならないのです。

それが日本としての進化なのか、退化なのか、答えはずっと先の話になりますが、楽しむ集団の規模が小さくなり、ニッチな楽しみ方が増え、意見や価値観に多様性が生まれ、新しい世の中になるのです。

未だに男女差別、子供の虐待、自分より劣る人間に高圧的な態度を取るクソみたいな人間が多い日本で多様性が認められるか、広がった格差のもと、金の集まるところと搾取され続け生きることもままならない人間がいるのも自己責任という言葉で言いくるめられているように、多様性という言葉が一人歩きをし、何でも多様性と言えば許されるアホな世の中になり、生きているのが息苦しくなるのではないかという懸念を抱くのです。

なんだかんだと言いながら、日本人の島国根性というか村社会というか強い絆で繋がる世界が好きで他人との関わりに面倒臭さを感じながらも気に入っていて、1人遊びが苦手な僕がいるのです。このままバラバラになるような気になり無駄な心配をしてしまいます。

 

組織が崩壊する前兆

会社だけでなく、生活をする上で形成される集団、例えば、近所の小さなママ友集団であったり、ボランティアのスポーツ少年団だったり、人が集まる集団の崩壊は所属する人間の疑心暗鬼から始まるのです。

価値観の違う人間が増え、お互いにパワーバランスを取ろうとし、誰も信用できなくなり、進むべき方向を見失い、責任の擦り付けが始まり、崩壊が始まる。

数多くの潰れた会社、ドロドロの嫉妬や疑心暗鬼で音信不通になった集団、存続が出来なくなったスポーツ少年団の原因を究明すると同じ原因であることが分かりました。

堅固な組織が崩壊する理由

令和の現代、会社の存続期間は平均10年ちょっとだし、会社が倒産するのは珍しいことではありません。多くの人は、倒産する会社は資金のショートだったり、時代の流れに乗れなかった会社が倒産すると勘違いをしているのですが、根本的な原因は、所属する人間の中に生まれる疑心暗鬼なのです。

それは会社だけでなく、友達関係やボランティアなど人間が集まって形成される集団の全てに当てはまります。このまま続けて良いのだろうかという不信感が生まれ、解決できずに広がり、やがて組織としての体をなくすのです。強く逞しく傲慢なリーダーがいるとき、例えば創業オーナー、リーダー的なママ、カリスマ的な変態リーダー学年いて周りから慕われていれば問題ないのですが、リーダー不在、リーダー不審になると組織内でお互いに疑い、足を引っ張り合い、良い状況になるはずもなく、徐々に蝕われ、崩壊をしてしまうのです。

最近で言えば、自民党にそんな兆しが見え隠れしているし、学校のPTA、少年野球、サッカーチームにもそんな兆しが見えています。

集団と組織の違い

人が集まる集団と組織の大きな違いは目的、目標、規律があるかどうかで組織として生き残るためには同じ価値観を持つ必要があります。この同じ価値観を持つというのは諸刃の剣ではありますが、組織を堅固にするには必要で多様性なんて言っていると組織は崩壊します。

カリスマ的なリーダーがいるとそのリーダーの価値観が集団の価値観になり、堅固な組織になっていくのです。ですが、リーダーがいなくなるとどこに向かうのか分からず、どうして良いのか不安になり、周りを疑い始め疑心暗鬼の塊になり、結束が弱まり、崩壊するのです。

倒産する会社の見極め方

倒産直前の会社は価値観がバラバラの方向に向き、それをまとめられるリーダーが不在になっているのです。これは僕の経験ですが、新しくまとめるリーダーが出てこないと早ければ半年、もって5年で潰れます。大きな会社だろうが小さな組織だろうが理屈は同じで、バラバラになった価値観をまとめあげる圧倒的なカリスマリーダーが必要です。会社の倒産でも学級崩壊でもバンド、ママ友全てに共通しているのは疑心暗鬼が生まれた組織は崩壊するのです。

もしあなたの勤めている会社、所属している組織に疑心暗鬼が生まれ、リーダー不在であったら逃げどきです。注意深く観察してみてください。

オリンピック男子サッカーで知る魅せるプレー

昨日行われたオリンピック男子サッカーは日本の対戦国である南アフリカの選手から陽性者、濃厚接触者が確認され、開始時間ギリギリまで試合が開催されるか分かりませんでした。試合があるのか、なくなるのかお互いにモチベーションを保つのが大変な大会になってしまいました。

連日の猛暑の中、熱い戦いをしているソフトボールの日本代表の上野選手は選手生命が長いですよね? 僕の記憶では北京オリンピックでは「神様、仏様、上野様」なんて昭和のパロディみたいなキャッチコピーを見かけた気がするので最低でも13年もトップトップで活躍してされているのです。二日連続の登板ですが上野選手は楽しそうにプレーをしますよね。ベテラン何嬉々としてプレーをすることで若手もリラックスできるのではないでしょうか。

それにしても東京は暑く、スポーツをする環境ではありません。昨晩開催された男子サッカーは東京会場で行われたのですが20時の時点でエアコンなしでは耐えられない暑さでした。その中で90分間、走り続けることは本当に大変だと思います。だからと言って効率よく手を抜くプレーをされると応援する気にならないのです。もちろん、私もスポーツをしていたので、効率よく勝つために必要のないときはサボる必要があるのは理解しています。男子サッカーは中2日の過密日程で最大6試合もあるので体力の温存も必要になってきます。でも、もっと上手くサボって欲しい。

男子サッカーはオリンピックまでは年齢制限があり、若手の選手です構成されています。そこにオーバーエイジ枠として年齢解除枠があるのです。僕はオーバーエイジ反対派なのですが、その話は別で。

もうオーバーエイジ吉田麻也選手、酒井宏樹選手、遠藤航選手のサボり方が上手く、一攫千金のゴールを決めた久保建英選手を始め、堂安律選手など若手選手との差が歴然としていました。スポーツなので勝つことも大事ですが、エンターテイメントのスポーツとして魅せることも大事なのです。

マチュアスポーツの祭典であったオリンピックもいつの間にか、プロばっかりになり、特に男子サッカーは昔なら漫画の世界であった海外リーグで普通に活躍する選手が沢山いるのに、まだまだ自分のためにプレーをしていて魅せる余裕がありません。その点、オーバーエイジ枠の選手はサボり方が上手い。

どうしても素人、にわかファン、勝利至上主義で育てられた可哀想な人たちは、ボールとその周辺で行われているプレーしか見ていませんがサッカーの場合、ピッチの逆サイドや攻撃時の守備陣、その反対もショーステージ上にいるのです。つまり90分間、常にファン、サポーターの目に晒されているのです。そこでサボると目立つのです。

昨日の試合で散見されたのが、パスを出した選手が足を止め、棒立ちになるプレー。本来は日本のように体格や身体能力ですが劣るチームは頭を使い、いつでもボールの近くでは数的有利になるようにプレーをしなければなりません。

これはオリンピック代表だけでなくトップトップも含め、高校サッカー、中学、小学生まで一貫して日本のサッカー協会が目指すサッカーなのです。公認指導者講習会でも口を酸っぱく言われます。

数的有利を作るためには相手より長い距離を走る必要があり、灼熱の環境で行うにはキツく酷い作戦です。なのでサボるのは理解します。というか、上手くサボれ。パスを出した後にリターンパスを受けるフリ、ポジション調整するフリ位はしろ。受ける気がないのも知っているし、戻されてもツラいのは理解しています。だけど、やってるフリだけはしないといけないのです。頑張っているフリをしないといけないのです。仮にも普段はプロとしてプレーをしているのだから意識をして欲しい。ボールをこねるのが上手いのも、ドリブルのテクニックがあるのも、シュートの精度が高いのも、素晴らしいと思います。そんな派手なプレーで魅せるよりも、地味なポジション調整だったり、クビを振って状況確認をしているフリだったり、いつでも見られているという意識が低いとプロとしてやっていくのは難しいのかと感じます。

その点、オーバーエイジ枠の吉田麻也選手、酒井宏樹選手、遠藤航選手はプロで上手くサボっていました。遠藤航選手はボールを捌いたあと、必ずリターンが貰えるように動くフリをしていたし、ビルドアップのときボールを貰っても何もできないし、貰いたくないタイミングでも受けるフリをしていました。

魅せるプレーとは派手なゴールやドリブルだけではなく、こういう細かいところなんです。素人、にわかファン相手にアピールするなら派手なゴール、ドリブルで魅せればチヤホヤして貰えます。ですが、プロとしてサッカー眼があるサポーターに愛される選手になるのであれば、90分間チームのために頑張っている、サボってないアピールが必要なんです。

特に大きな大会で子供たちも沢山見ていて、サボるプレーが当たり前だと勘違いするアホな指導者とそれを信じてしまうピュアな子供たちがいるのです。暑くてツラいのは理解しています。でもプロとしての意地を見せて欲しい。90分間、ピッチに立っているということは常に見られていることを意識してして欲しいものです。森保監督、そこんとこ、ちゃんと指導して下さいね。

オリンピックがいまいち盛り上がらないワケ

生きているうちにオリンピックのホスト国になり、地元開催で身近にトップクラスのアスリートがやって来るなんて本来は盛り上がって狂乱乱舞してしまうような案件なのですが、ビックリするくらい冷めています。

コロナ渦の中に強行する誰も望まないオリンピックというのもありますが、最近の日本のスポーツに関する考え方が気に食わないというのが大きいのです。

※ 凄く個人的な価値観なので誰からも賛同されないかも知れませんが記事にしておきます。

スポーツをする意義が失われた

僕の語彙力がないので、凄く陳腐な言葉になってしまいますがスポーツをする価値というか、スポーツを通して何を学ぶか、何をスポーツに求めているのかが最近かわり、クソみたいに勝ち負けだけを気にする人が多く気に食わないのです。

スポーツを観たり、子供に経験させる意味を履き違えておられる方が多く、そんな考えならスポーツを観る、やる必要なんてないのではないかと考えるワケです。

そもそもスポーツなんて人生においてムダでやる必要なんてないのに、応援しているチームの勝敗に一喜一憂し、世界中の人が熱狂するのでしょうか。

選手がスポーツを楽しむのが前提

スポーツ観戦をして熱狂する理由は、自分の応援するチームが頑張っいる姿を観て共に頑張っていると錯覚をし、擬似体験をすることにあります。これはオリンピックに出場するようなアスリートでも子供のスポーツでも同じで、自分が出来ないこと、やらないことを具現化してくれる選手たちを応援し、一緒に戦っているつもりになり、そんな人間が集まって一体感を生むのです。そして同じ目標を持ち、同じ相手に立ち向かい、妙な連帯感が生まれるのです。

前提として、選手たちが一生懸命、勝つために全力でプレーをする姿を観て感動ができなければスポーツ観戦が趣味になることはありません。例え、にわかファンでもスポーツを観て共感をし、感動を得ることが出来れば、全ての人が楽しめるのがスポーツです。

そのためには選手が楽しんでいるのが前提で、選手が楽しまず、ただ勝利を求め、どんな手を使ってでも勝ちたいなんて、姑息で卑怯な横綱のくせに肘打ちを使うなど言語道断なのです。

大谷翔平や池井梨香子が愛され、応援されるのは本人たちが競技を楽しんでいるからであって、そこに共感し応援したくなるのです。

アホみたいな指導者とクソのようなサポーター

そんなスポーツですが、アホみたいな指導者とクソのようなサポーターが増え、過程を楽しむのではなく、勝利至上主義が生まれ、勝つために何をしても良いという考えが日本のスポーツを取り巻いているのです。

そんなことはないと感じる人は恵まれていて、現実問題、クソみたいな指導を受け、スポーツの意義を履き違え、楽しむことより勝つことを優先する人間が多くなっているのです。

子供の習い事としてのスポーツ

昔から子供たちにスポーツを経験させるのは、人生において大切だと認識している人が多く、子供たちにサッカーや野球を経験させる親が多いと思います。

スポーツは楽しむためのが根底にあるのに勝つことを目的にしてアホみたいな指導をするコーチやそれを求めるクソみたいな親が多く、子供たちがスポーツを楽しむのは二の次にし、子供たちが勝つことで満足をする大人がマジで多く、上手くならなければ辞めて違うスポーツ、他の趣味を探す。マジでクソでございます。

スポーツは習い事ではなく、楽しむことが前提なのに習い事感覚で上手ければ何をしても良い、勝つためには手段を選ばないといった価値観の人間が多いのです。

勝ち負けだけに集中し、頑張って食らいつく姿、無様でも必死になって立ち向かう姿に感動をするハズなのに負ければ叩き、勝てば喝采するスポーツを観る、させる、やるのに余裕がない人間ばかりなのです。

負けても勝っても応援するのがスポーツ

日本で言えば阪神タイガースだったり、ラグビーウェールズ、サッカーのオランダ代表のように愛されるチームは勝っても負けても応援されます。文化の違いもありますが勝利至上主義ではなく、同じチーム、国、家族のように成功も失敗も全てひっくるめて応援出来るのがスポーツの醍醐味なのではないでしょうか。

日本のサッカーは弱いから応援しないとか、勝つ見込みがないから観ないなんていうアホみたいな人間が増殖し、そんな人間たちに育てられたアスリートが戦っている姿を観てもちっとも感動しないのです。

昨晩行われた女子サッカーも強豪カナダ相手によく追いつき勝ち点をもぎ取ったのですが、もっと出来たハズで、やりきった感が観ていて感じられず、クソつまらない試合だと感じてしまうのです。

全ては効率よく勝つことを目標にした勝利至上主義の指導を受け、一生懸命頑張ることを忘れているからなのではないでしょうか。

日本スポーツが世界中を席巻している今だからこそ、もっとスポーツを楽しむことを子供たちに伝えていかなければいけないのです。