底辺からの視線

中年親父目線で気づいたことを雑記的に書き殴るブログ

誰からも嫌われたくないなら、徹底的に尽くせ! 嫌われない方法

やたらと媚を売ってくる人間がいますが、僕も社会人として長く生き残ってくるためにそれなりに学習をしてきているので、そんな人間は信じないようにしています。天邪鬼な僕は媚を売って取り入ろうとする人間のことは信用せず、反対に噛みついて意見を言ってくる人間を可愛がってしまいます。それは数多の理不尽、不運を経験し、信用できる人間は決して媚を売らないということを知り、反対に媚を売ってくる奴は都合が悪くなると直ぐに逃げる頼りにならないクソ野郎と知ったからです。

もちろん、全ての人間に当てはまる訳ではありませんが、かなりの高確率で八方美人的に媚を売っている人間は不都合なことがあると裏切ります。そもそも媚を売り、誰からも嫌われないようにしようとすると自分の意見など持てず、あちらでは黒、こちらでは白と話を合わせていて、形勢が悪くなると離れて行くのです。

本人は誰からも嫌われないように一生懸命に尻尾を振っているのですが、そんな姑息な手を見透かせない人間は、余程のバカで、媚を売られる立場の人間になれてはいません。

誰からも嫌われない方法

誰からも嫌われない唯一の方法は、媚を売るのではなく、相手のエゴを満足されることなのです。例えば、上司が面倒臭いと思っていることを先回りして終わらせる。意中の女性がラクしたいことを手伝ってあげる。媚を売るより相手のエゴを満足させるのです。徹底的に尽くし、役に立つ人間だと思われることで嫌われません。

ですが、価値観に共感してはいけません。価値観に共感してしまうと、違う価値観の人に嫌われてしまいます。嫌われなくないと考えているのであれば、意見を求められた場合はのらりくらりとはぐらかし、決して意見を言ってはいけません。思っているより周りの人間は賢く、この間、あいつには違うこと言ってたらしいじゃんなんて直ぐにバレます。なので、決して意見を持ってはいけないのです。

嫌われる原因

そもそも嫌われる原因は価値観、意見の衝突がほとんどです。価値観を持たず、フラットな立場にいることで嫌われる確率は極端に低くなります。八方美人が嫌われる要因は、あちこちで違う価値観に共感し、仲間だと認識されてしまうからなのです。

徹底的に自我を殺し、空気のような存在になり、相手のエゴを満足させることが出来れば、ぐっと嫌われる確率は低くなります。

役に立つ人間を無下にする人はいない

エゴが通れば誰でも幸せで、エゴを満足させてくれる人間は多くないので重宝されます。そして媚を売るより遥かにリスクが少ないのです。誰からも嫌われないハズです。僕のように媚を売ってくる人間を嫌う人でも役に立つ人間は嫌いにはなりません。出来れば僕の欲望を全て満たして欲しいくらいです。

誰からも嫌われたくないと思うのであれば簡単ではありませんがチャレンジしてみて下さい。

ちなみに誰からも嫌われはしないが、誰からも相手にされなくなる確率も高いので、その辺は割り切って実行してくださいね。

命懸けのチキンレースで誰も逃げなかったのが凄い。東京オリンピック開幕へ

いつか誰かが「今回はやめようぜっ!!」って絶対に言うと思っていた東京オリンピックの競技が始まりましたね。本日(7/20)より、女子ソフトボール(完全勝利っ!!)が始まり女子サッカー、男子サッカーと開会式前からアスリートの熱い戦いが始まります。

今回の東京オリンピックは、これまでの大会とは違い、始まる前から見どころが満載でした。一番の見どころは誰が中止を言い出し、責任を取るのかという「チキンレース」でしたが、誰も降りることなく、開催することになってしまい、チキンレースに参加していた方々も内心、正気ではないと思います。

チキンレースで大惨事の予感

年齢を重ね、他人から尊敬される立場の意見に刃向かわず、保身のために発言もせず、誰かが言ってくれるだろうなんて甘い考えで「言ったもん負け」のチキンレースを開催し、最後まで(まだ数日あるので分かりませんが・・・)中止を言い出さなかった凄みは見ていて清々しく熱い戦いでした。

チキンレースとは衝突する寸前にどちらかが避けてしまい「臆病者」と呼ばれ、勝った方も負けた方も生き残れるハズなのに、絶対に責任を取りたくないという強固な姿勢を見せ、お互いに譲らず事故ってしまった感が強い。本来なら、根負けしてどちらかが避けるだろう、相手が避けるだろうという暗黙のルール、期待がありお互いに譲らなければ死が待ち受けているのです。

IOC、WHO、JOC、日本政府、東京都、その他諸々の中で誰も言い出せず、おそらく「えっ、やっちゃうの?」なんて参加をされた方々は思っているのです。まさか、この状況なのに本気で開催をしたいと思っていた人間はいないと願いたい。

開催で背負う責任はしっかりと取ってもらいたい

東京オリンピック 2021』は過去で一番、支持されていないオリンピックだと思いますが、開催をするのであれば、一部の人間はコロナ渦なんて関係なく、アホみたいに盛り上がり、酒を飲み、スクランブル交差点に出没をするのです。そんな誰でも想像がつくリスクを想定できない人たちであるはずがありません。それは日本に限ったことじゃなくて、フーリガンのように暴れる人間は世界各国で現れるのです。そこで感染拡大しても「自己責任」なんてふざけたことを言って逃げ切ることを許してはいけません。

誰かが「中止を言い出すだろう」なんて賭けに負けたのです。ここでまた、責任の譲り合いなんてカッコ悪い姿を晒さないで欲しいものですね。

東京オリンピックを盛り上げるぜ

チキンレースの結果は全員負けという結果に終わりましたが、日本国民はホスト国として盛り上げる義務が発生し、もう腹を括るしかありません。命がけで、玉砕覚悟で盛り上げるのがホスト国としての責任であり、世界中を敵に回し戦う勇気があった日本人の子孫としての心意気を世界中に見せつけようぜっ!!

竹槍で戦闘機と本気で戦おうと思った先人たちのように、刀一本で鉄砲に立ち向かった幕末の志士のように熱く沸る血を世界中に見せつけ「日本、ここにあり」と歴史に刻み込もうじゃありませんか!!

 

オリンピックは日本が変わるきっかけ。一度地獄をみる必要があるのかもしれません

オリンピック開会式が目前に迫り、静かな盛り上がりをしている中、選手内にコロナ感染者が出てしまい、試合が行えるか微妙なチームが出てきてしまいました。

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日本のコロナ感染対策がザルなのは知っていたけど、これだけコロナ感染が出てくると安心安全なオリンピックが台無しになってしまいそうな雰囲気ですよね。

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まさか、こうなることは想定外だと思っているなら、小学生以下の脳みそしかない人間が日本の政治を仕切っていることになり、身体は大人、頭は小学生の逆コナン状態で非常にヤバい状況なので、日本のブレインたちを信じたいと切に思う訳です。

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世界中に招致するときについた「東京の夏は温暖な気候でスポーツに適している」という嘘がバレるのは必須で、コロナのおかげで観客の熱中症対策は必要なくなったのですが、選手たちにかかる負担は高く、全員が無事に競技を終えてくれることを心から祈るばかりです。

望んでいなかったとしても、世界一のアスリートが集まるオリンピックを招致した責任を果たすため、トイレくさい会場とか、暑くて競技どころじゃないとか、コロナ対策がザルだろうが上手く誤魔化し、他人に責任を押し付けるなんてカッコ悪いことだけはして欲しくはありません。

そんな頭の悪いリーダーを選んだのは日本国民の責任なのです。バカだ、アホだというのは簡単ですが、残念ながら、そんなリーダーを選んでしまったのも僕たち国民なのです。

多くの人の欲望を満たすのが正義の日本

常々思っていたことなのですが、今の日本の多数決は崩壊していてネズミ講のように権力者の欲望を満たすことための多数決なのです。もうとっくに日本を諦めた人間は選挙にすら行かず、間違っていても上の人間のご機嫌を取り、変に反対意見で目立たないように生きるのが日本の暗黙のルールであって、正しいことをする人間は排他されるのです。

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ですが、そんな日本にしたのも日本人であり、凄く恥ずかしいのですが、みんなで恥ずかしい思いをして、どうにかするためのきっかけなれば良いのではないでしょうか。

 

 

「なぜ勉強をした方が良いのか」の理由に納得がいかず、僕なりの見解を述べる。

「勉強をする理由」について、たまたま記事をインターネットで見かけ「なるほどな」なんて共感ができず、ちょっとイライラしたので投稿しています。

president.jp

もちろん、テストの点数を撮るための勉強も大切だし、良い点数を取ることで活躍できる選択の幅が広がることは否定しない。ただ、高学歴だから、どんな職業につけるというのは幻想で高学歴の人間とそうでない人間は合間みれることはなく、高学歴じゃつけない職業があるのです。この人は可哀想だけど、想像でしか世の中を知らず、典型的なキャリア組であってノンキャリアの世界を知らな過ぎです。

まず、冒頭で僕の価値観と違い過ぎて読み進める気にはなりませんでした。

「勉強が好きなのね」と小さいころから言われ続けてきたわたしは、身もふたもない実感として「勉強はとくに好きではないな」と思っています。だって、勉強より楽しいことは、世の中には山ほどありますから。遊んでいたほうが楽しいに決まっています。

だからこそ、勉強が嫌いだったり苦痛を感じたりしている人に、わたしは強く伝えたい。

「勉強は楽しいものではない」と。

むしろ、これを認めないと、面白くもないことを続けることはできません。もちろん、勉強をしていて難しい問題が解けた瞬間や、知的好奇心が広がっていく感覚を楽しいと感じるときはあります。

でも、それはあくまで一時的なもの。勉強の大部分は、覚えるべきことをひたすら覚え、同じルーティンを繰り返していく、まさに忍耐の連続です。そんな勉強に苦痛を感じるのは、むしろ正常で、あたりまえの状態だと思いませんか?

新しい知識を学ぶことはいくつになっても楽しく、子供の頃にあんなに嫌いだった勉強が大人になってから楽しくなり、この現象はなんと言えば良いのかを考えている僕からするとちゃんちゃらおかしい。

仮にも工学修士(大学院卒)をした僕ですが、自分が学んでこなかったプログラミングやデザイン、心理学、行動経済学など今まで点と点だった知識が学ぶことでつながり、一気に目の前が広がるような感覚、知的好奇心を満たす感覚はいくつになっても必要だと思っているし、いくつになっても身につけた知識で状況を変えることができるのです。

実際に僕の場合、大学院まで化学を学んでいたのですが、就職をし、プログラミングに興味を持ち、スーパープログラマーを目指し切磋琢磨し、デザインを学び、Webクリエーターとして稼ぎ、現在ではプログラミング、デザイン、Webマーケッター、日本サッカー協会公認指導者として楽しんで稼いでいます。そして、やっぱり勉強は若いときにしておいた方が良かったなと実感をしているのです。

勉強をする意味

勉強をする意味は選択肢を増やすことであるのは共感できるのですが、やりたいことをやるために勉強が必要であって、好きなことをするために必要な能力を身につけるのが勉強であって早い時期にやりたいことを見つければ、そのことに特化した勉強をすればよくて、クソみたいにテストの点数を取ることが勉強ではないのです。

例えば、デザインの仕事がしたいのであれば、地理なんてクソの役にも立たない勉強なのでやる必要はなく、何もやりたいことがないのであれば、学生という人生で一番楽な時期を先延ばしするために勉強をして自分のやりたいことを見つける期間として、自分の将来を考えるための猶予期間として、テストで点数を取る勉強をするしかないのです。

色々な知識を学び、自分の興味があることを見つけるために勉強は必要なのであって、やりたいこと好きなことを見つけたら、集中して極める努力をすれば良いのです。テストの点数を取るための勉強ができたとしても社会人になり、クソみたいに仕事ができない人間なんて星の数ほどいるし、学歴がなくても成功している人は思ったよりたくさんいます。テストの点数を取るための勉強なんて人生において役には立たず、マニアックでテストに出ないような知識を入れるのも勉強であって、どちらかというとテストに出ないような知識の方が生きていく上では重要な気がします。

なせ勉強をした方が良いのか

勉強とは好きなことを極めるため、好きなことで稼ぎ、生きていくためにするものであって、嫌々する勉強は勉強ではないんです。学校のテストで良い点数を取る勉強が勉強だと思っているクソみたいな考えであるなら、勉強なんてしなくても良いとさえ思ってしまいます。

好きなことを見つけるために勉強をするわけであって、直接、勉強をすることで好きなことを見つけられないとしても、勉強をして(テストで点数を取って)高校、大学と自分のやりたいことを見つけることを先延ばしできるからテストで点数を取り、進学をした方が良いだけなんです。

何がなんでもテストで点数を取ることが大切なわけではない。やりたいことを見つけ、それができるようになることが勉強なんです。

コロナ禍の中、オリンピックが開催できるのはTOKYOだから!!日本国民として誇りに思いたい

ここまで盛り上がらないスポーツの祭典、平和の祭典「オリンピック」ってなんなんでしょう。比較的、一般の人よりスポーツに興味があり、2002年の日韓W杯期間中は会社にいるよりスポーツバーでパブリックビューイングにいた時間が長かった僕ですら、全然盛り上がっていません。

ですが、こんなに世の中、世界中で猛威を奮っているコロナを目前にして逃げず、勇敢に戦う日本人の素晴らしさを世界に見せつける最大のチャンスです。おそらく他の国であれば、オリンピックどころではなく、内乱、反対運動、暴動が起きています。さすが日本人です。これだけ、自らの身に危険が降りかかってきているのに「みんなの喜ぶ顔が見たい」という一心で、もしくは諦めなのか、それとも最近の日本人が得意な『無関心』なのか、何事もなかったように粛々とオリンピック開幕に向けて針を進めています。

個人的には、これ程パンデミックな広がりを見せている中で、さらに国内のワクチン接種も進まない中でほぼノーカードで開催する潔さに感動していて未来永劫、語り継ぐべき案件だと思っています。

日本の底力を見せつける大会

僕を始め、日本人は理不尽なことに対して、嬉々として楽しむところがあり、誰が考えても、不可能だということを実行するパワーがあるのです。失敗を恐れず、世界中から笑われるというリスクがある中、強行する強靭で逞しい国民なのです。このチャレンジ精神を各国に見せつけてやりましょう。

TOKYOに限って話をすれば、オリンピックまで残り4日の7月19日現在、コロナ渦の前と変わらない日常が広がっています。もちろん、表面上は、お酒の提供は禁止だし、二人以上の飲食は控えていますが、ほぼほぼ安心安全なTOKYOでは、そんなルールは建前上の話であって、ただただ普通に生活を送っているのです。そしてオリンピックという世界一のスポーツの祭典に浮かれることなく、粛々と自分の仕事をこなし、経済活動を続けています。

表立って「オリンピックで盛り上がろう」なんて口にする人はいませんが、内心、日本代表選手がメダルを獲得したあかつきには、みんなでお祝いをして盛り上がろうと考えている日本愛に胸をいっぱいにいしている人も少なくはありません。

日本人としての誇り

目上の人間、強い人間、権力者に歯向かうことは日本人の美徳としては許されず、いくら理不尽だろうが、間違っていようが空気を読み、媚びを売り、気持ちよく思って欲しいという「おもてなし精神」があり、世界のお金持ち、権力者に対して、心にもないことを平気で口にすることができるのです。思っていることをストレートに口に出すなんて野暮なことはしません。察することが日本の文化であり、日本の奥ゆかしさなのです。

世界中の金持ち、権力者に楽しんでもらえれば、身を削ることができるのが日本人なのです。自己犠牲は日本人の美徳であり、伝統で、己の信じた道を貫くため、選択を過ったリーダーのために命を捧げ、忠義のもと、負け戦に挑む潔さは、新撰組や白虎隊など悲劇のヒーローと同様に美談として後世に語り継がれるのです。ここで踏ん張れずに敵に背を向けることは、武士として、日本人の生き様として許されるものではありません。日本人の誇りを持って玉砕覚悟で立ち向かう必要があります。そんな心意気を見せることで世界各国から「流石、日本人だ」と喝采を浴びることができるのです。

素晴らしいリーダーたちを支え開催をしよう

これだけ世論を敵に回し、自らの政治人生、一国の主として全ての責任を背負い、失敗したら「非常識なリーダーだ」と言われるリスクを抱え、僕だったら胃に穴が開くほど悩み、苦しみ、先に光が見えない実現不可能だと諦めてしまうことを臆せず、ポジティブに淡々と実行する類稀なるリーダーである菅首相小池都知事を始め、実行委員会の丸山さんには、おそらく一発逆転の作戦があるに違いありません。

僕のような能力もない凡人では考えられない秘策があり、一気にモヤモヤが晴れる勝算があり、安心安全なオリンピックを開催し、国民たちが納得し「色々あったけどTOKYOオリンピックは良かったな」と思えるサプライズを用意しているはずです。まさか、オリンピックを終え、コロナ渦が広まり、さらに、効果のない緊急事態宣言を継続し、国民の僕たちにお願いするだけなんてことはありません。

周りから何を言われても、一緒にチカラを合わせられる仲間がいれば必ず成功できると思います。今こそ、同調圧力でチカラを合わせ、世界中の権力者、お金持ちを満足させるために空気を読み、忖度し、媚びを売り、誰からも叩かれないように頑張っている偉い人たちを支えましょう。

苦労が多いほど、成功したときの感動は大きくなります。TOKYOオリンピックが成功したときは感動で立っていられないと思います。

さあ、日本人の底力を世界に見せつけよう!!

 

 

コロナ渦、オリンピックで見えたクズ発言のワケ

コロナ渦で改めて思ったんですが、誰もが幸せな世界というのは実現不可能で、理想的な桃源郷のような社会を作るという夢物語に付き合っていると裏切られて、バカを見ることになるのです。

例えば、こんなアホなことを言い出す人

政府 酒類取引停止要請を撤回へ - Yahoo!ニュース

例えば、自分とその周りのことしか考えられない人など、結局は誰かの言い分を聞くと、その犠牲になる人は必ず生まれるんです。

WHOがワクチンの公平な分配目指し見解「3回目の接種すべきでない」 - ライブドアニュース

それは自由経済社会だからという訳ではなくて、社会主義でも一緒でどんな仕組みを作っても誰もが幸せになる世の中なんて無理な話なんです。そんな社会を作るためには、全人類の性根を叩き直し、欲望や感情を捨て、自己犠牲精神を植え付けなければなりません。幸せな世の中というのは、自分の思い通りになる世の中であって、全ての人のエゴが満たされるのが誰にとっても幸せな世界なのです。

人間には抑えられない欲望があって、溢れ出てくる感情があるのです。その欲望と感情がどす黒く、複雑に絡み合ってエゴになり、他人のエゴに負けず、自分のエゴを通した人だけが幸せになるのです。そのためには金と権力を持つ必要があり、金と権力を持った人たちのエゴが通るのが自由市場経済の根本にあるのです。

そして、そんなエゴが汚いなんて教わり、エゴを通さない人間は残念ながら他人のエゴを満たすための駒として一生を送ることになってしまいます。

人間の持つ価値観は非常時になれば、切羽詰まれば詰まる程、自分(とその周りの人間)が幸せになれば良い社会だと勘違いをしてしまうのです。冷静に考えれば間違っていることでも、違う価値観、自分と遠い人間のことなど気にもならず、自分のことで精一杯になってしまうのです。

今回の西村大臣の居酒屋潰しみたいな発言だって、おそらく本心だと思います。酒の提供さえなければ市中感染が抑えられる。どうにかして居酒屋に協力してもらおうと脅しをかけたのです。本当にアホみたいな行動ですが、決して国民を笑かしてやろうという渾身のギャグではなく、真剣に考えた結果なのです。

そこに犠牲者がいたとしても、自分(とその周りの人間)には関係ない。多くの国民もそれを願っているハズなんて思い、自分の近く、この場合は政治家の皆さんに「どうよ? 良くね?」なんて相談をし「良いんじゃね? それで行くか」なんて同じ価値観の人達で賛同があったんだと思います。

これは今回のアホみたいな西村大臣の発言だけではなく、オリンピック実行委員会から追い出された森さんもそうだし、元委員長の丸山さんもそうだし、有名人じゃなくても少年サッカーのコーチ陣だって、ママ友だって同じことが起きているのです。クソみたいな足の引っ張り合い、傷の舐め合いをしている集団に多く、自分たちと価値観が違う人を敵対しして、自らの行動を正当化しようとして自分たちは間違っていないと思い込み、過去と今しかなく、これからのことなんて考えられないのです。

昔は良かったなんて、老害みたいなことを言いたくはないのですが、バブルの頃は、もっとギラついていて欲望を丸出しにして足りないものを手に入れるため、生き残るため他人の目など気にせずがっついて生きていました。ですが、みんなが一丸となってより良い社会のために必死に自己犠牲をしてでも助け合っていたのです。共通の価値観として「より良い生活」を手に入れようと躍起になっていたのです。

いつの頃からか、足りないものがなくなり、多様性が大切だと言い出し、全ては自己責任だなんて風潮が流行り、自分さえ良ければ全て良しの世の中になってしまった。

そしてピュアで騙されやすい人間は利用され、権力者のエゴを満たすための存在に成り下がってしまったのです。全てが足りなかった時代は同じ目標を持ち、足りないものを補おうと一丸となっていたのですが、全てが満たされてしまった現代では同じ価値観で突き進むことが難しくなってしまいました。胸くそ悪い話ですが、みんな自分(とその周りの人間)さえ幸せで有れば他人の犠牲なんて関係ないのです。

それは時代の流れなので仕方がありませんが、そんな価値観を持っていることを認識していない人が多いのが残念で堪りません。どうせなら、俺だけ幸せなら良いんだよと叫んで欲しい。他人のためだとか、世の中のためなんて綺麗事じゃなく、私利私欲のためだとはっきり言ってくれれば、納得は出来なくても理解は出来るのに綺麗事を言うから腹が立つんです。

僕のエゴですが・・・

子供にスポーツをさせる理由とやらなくて良いワケ

少年野球や少年サッカー、ミニバス、バレーボール、スイミング、ゴルフにテニス、小学生、早ければ幼稚園、保育園児からスポーツをさせるのは、その子の将来のためにプラスになると思い、熱心にスクールに通わせることがあると思います。

肉体的にも精神的にもスポーツをすることで成長することもあります。なので、僕個人としては子供のスポーツには賛成だし、息子たちにもスポーツをされてきました。ただ、最近思うのは、クソみたいな指導者から教わるくらいなら、やらない方が良いと思うのです。

小学生という年代で必要な運動、考え方が必要なのに大人のエゴ、指導者のアホさ加減を子供に押しつけるようなクソみたいな指導者に教わる必要なんてなくて、それなら公園で楽しんで身体を動かし、子供達のルールの中で理不尽さや不運を味わえば良いのです。クソみたいな指導者のアホみたいな価値観を子供達に押しつける必要はないのです。

例えば、少年サッカーで言えば、幼稚園児、保育園児、小学校低学年のうちは、ボールが大好きな年代なので、ボールに集まる通称、団子サッカーをするのですが、大人から見るとムダで非効率なのですが、子供達は一生懸命にボールを触ろうと頑張っているのです。そして、自分で理解してボールの近くより、周りに誰もいないところでボールを受けた方がラクにプレーできるようになるのです。大体、3年生から4年生くらいで気づき始めるのですが、その前の年代に教えてしまうと、子供のボールに対する執着心を否定し、将来のプレーに大きな影響を与えます。自分がボールを保持しているときだけしかプレーをしなくなるのです。これはサッカーでは大きな間違いなのですがクソみたいな指導者はそんなプレーヤーを育てているのに気づかず、自分の思い通りにならない子供を作ろうとするのです。

少し指導の勉強をすれば分かることなのですが、そんな努力もせず、子供達に指導者の価値観を押しつけるクソみたいな大人が子供を指導しているのが現状です。

勝つために、上手い子だけを試合に使い、技術的に劣る子供を試合に出さない補欠問題が起きるのも、知識が足りない指導者のせいだし、年代が上がるにつれ、小学生で始めたスポーツから離れてしまうのもクソみたいな指導者のせいなのです。

特に少年野球や少年サッカーは、ど素人のお父さんコーチが指導をすることが多く、浅はかな考えでクソみたいな大人の価値観を押しつけることが多いです。クソみたいな素人指導者の思い通りに動く子供が出来たとしても、クソみたいな指導者を超えることはなく、クソみたいな人間のさらに劣化版の大クソな大人に育ってしまうのです。

ちなみに、クソみたいに大人の価値観を子供達に押しつける指導をすると小学生のうちは勝てることが多いのですが、年代が上がってそのスポーツを続ける確率は凄く低くなっています。出来ないことはやらない、教えてもらえないと何もできない可哀想な人間になってしまうのです。反対に、キチンとしたスポーツ理論、指導理論を学んだ指導者に見てもらった子供達は中学、高校と年代が上がっても、自らの欠点を発見し、解決方法を吟味し、実践、改善を続け、逞しい人間に育っています。

我が子の将来を考えたらどちらが良いか一目瞭然ですよね。子供に野球やサッカーを始め、スポーツをさせようと考えるなら、競技は関係なく、良い指導者に見てもらえるスポーツを選んでください。クソみたいな人間に指導者され、我が子がクソみたいな人間にされてしまう危険があります。